楽しいと愉しい

本来、ターゲットが読みたくなる文字数(短文~中文程度)で終わらせたいのが本音。だが、初回に限っては、お許しを・・・(笑)

今年4月、単発バイトの帰り、一緒に働いた20代後半の男性と路面電車に乗り帰宅していた。

終点で降車すると、信号待ちでおよそ60代の白杖者の方と一緒になった。
仕事帰りの格好でお一人だったので、
「長年生きているからもあって、一人行動にあまり不自由はなさそう。」
と、勝手に感じ取ってしまった。
私は、その方を横目にスタスタと二人で横断歩道を渡った。
渡り終えたところで後ろを振り返ると、
その方は横断歩道を渡れず、アジア系の若者が助けていた。
そこで、私もハッとし、すぐに駆け寄った。
見て見ぬふりをしたも同然、人としての恥ずかしさをおぼえ、
やるせない気持ちになった。
同時に、真っ先にサポートしていた留学生に、この出来事ひとつで
もしかしたら、「日本」「日本人」に
絶望させてしまったかもしれないと思った。

だがその時、私の隣にいた日本人男性は、
「毎日この道を通勤しているんだから、サポートしなくても大丈夫じゃない?」と、不思議そうに言ってきた。それを聞き、
「あぁそうか、、自分のタイミングで渡る可能性もあっただろうし、
なんなら、サポートの仕方も下手だったと思うしいい迷惑だったかもしれ
ない。」と考え直した。

動画配信サイトで、時折流れてくる障がいを持った方の動画を
拝見するたびに、その出来事を思いだしていた。
今日もいつものように動画を見ていると、
「重度の障がい夫婦の子育て」動画が流れてきた。
コメント欄には、「自分の子供に介護してもらいたくて産んだんでしょ」
との言葉がたくさんあり、驚きを隠せなかった。
なぜ、そのように思うのか?
健常者が出産しても「老後の介護のために産んだんだ」など言われないのに・・・。
愛があって、家庭をもちたいってそれだけの気持ちだけなのではないか。
詳しくその家族を知りたいと思い、MBSNEWSさんが取材した「ふつうのままで」というタイトルの約50分動画をみた。
もちろん自分でできることは自分でして、できないことは人に頼んで
助けてもらって、たまには夫婦喧嘩もしていた。
少しサポートを多く必要とするだけで。

とにかく全てを愉しんでいた。あぁ、これが人生だなと勉強させられた。

長く自分の身体と付き合って全くサポートがいらない人もいれば、
サポートを多く必要とする人もいる。
だから、あの時の留学生と私の行動はきっと間違えではないし、
今後は、物理的にきこえる助け声とそうでない助け声に、
より耳を傾けようと思った。

様々なジャンルに対しての完璧な理解や学びは難しい。
その「こと」に対面した時から考えたり勉強したりして、関心を深めていこうと思う。

誰もが思う楽しいことをするのではなく、自分らしく愉しく生きよう。
ね、みなさん。

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