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嫌われる勇気②(世界はシンプル編)

今回1つの本を3回に分けて整理をしている。
理由は個人的理由(努力課題)とnote的理由の2つ。
【個人的理由】
・整理が追い付かない。(笑)
・書くのに時間がかかる=集中が持たない


いわゆる頑張ろう!という状態。

【note的理由】
・全部記載すると読みづらくて読んでもらえない??(途中離脱防止)
・複数回に分けた方が見に来てくれる方が増えるのでは??(リピート)
・複数に分けて評価してもらえそう。(評価観点) などなど

本当かどうかは知らない。

noteプロの方教えてください。(笑)

さて、本題に

嫌われる勇気②(世界はシンプル)


この章の始まりでは、
私自身も(青年と一緒に)そんなわけがないから始まったが…。

読み終わったときには「確かに。(笑)」となっていた。(どんどんアドラーって凄いんじゃないか?となってる)

この章で伝えているメッセージは、(個人解釈)

自分の人生は、自分自身の責任で生きていくこと

さて、振り返ろう!!

「世界はシンプル」その理由とは

【哲人の問い】
人間の悩みは、すべての対人関係の悩みである

孤独を感じるのも、劣等感を感じるのも、
勝った負けたを感じるのも他者が必要。
そのため、人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

これを聞いた(読んだ)青年と私は、

青年 なにをおっしゃいました?

青年 嘘だ。そんなの学者の詭弁だ!!

私 そうだ!そうだ!!

世の中には、給料が安い、友達ができない、出世ができない、やりたいことが見つからない、劣等感などなど様々な悩みある…はず。その悩み全部「対人関係の悩み」と一括りにされても…納得はいかない。

そこで哲人と青年のお話では、劣等感についてから学ぶことから始まった。

そもそも劣等感とは?

劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な思い込み(解釈)」

劣等感とは、価値(Wret)が「より少ない(minder)」「感覚(Qefhl)」という意味。つまり、自らへの価値判断に関わる言葉。
(自分には、価値がないのだ、この程度の価値しかないなどを感じる感覚)

【私の劣等感】
私の場合、28年間天パニストでとして生きてきた。(天パニスト=髪型チリチリということ。)

小学生、中学生、高校生、大学と当然あだ名は、「チリチリ」。(笑)
なぜ、私だけチリチリなのかと母親の遺伝を弟と一緒に恨んだこともあり、髪型について劣等感の塊だと…思ってました。(笑)

しかし、哲人曰く、これは劣等ではないということ。

天パであることは事実だが、友達と比べてなど客観的なもの(他者比較)でしかなく、誰よりも天パであること気にしていたのは、自分自身。

問題は、天パに私自身がどのような意味づけをほどすか、どのような意味を与えるか

確かに。
私が感じていた天パ二スト劣等感は、あくまでも友達の「直毛な髪型」と比較でしかなかった。(=「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」)
また、20年近く感じていた劣等感が、社会人になってからは劣等感ではなく、少しオイシイと感じている(イジラレるおいしさ)。これは、主観的な解釈が変わったことで、劣等感ではなくなったということなのか。

そもそも劣等感はなぜ抱くのか?

【前提】
劣等感は誰にでもあるもの。また、劣等感自体は、何も悪くないもの。(アドラーの教え)

アドラー曰く劣等感が悪いわけではなく、劣等感の抱き方を、理解することが大切。

人は「優越性の追求」を持っている
「向上したいと願うこと」「理想の状態を追求すること」などの成長したいという普遍的な欲求のこと

その欲求に対し、理想に到達できていない自分がまるで劣っているかのような感覚を抱く。(主観的な思い込み)その志が高いや責任感が強いなどがある種の劣等感につながる。

では、劣等感を引き出す「優越性の追求」を持つことがいけないのか?

ではない。
優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で、正常な努力と成長への刺激とアドラーも語っている。劣等感も使い方さえ間違いなければ、努力や成長の促進剤につながる。(負けないぞ!!とバネにして成長へつなげる)

良くないコンプレックス

コンプレックスとは
コンプレックスと劣等感が同義で使われることがあるが間違い。コンプレックスとは、複雑に絡み合った倒錯的(社会一般の基準から逸脱している様子を示す表現)な心理状態を表す用語のこと。

そのうえで、良くないコンプレックスとは

劣等コンプレックス
自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めること

例えば…「私は〇〇だから〇〇できない」といった自分の短所を言い訳に出来ない、やろうとしない理由を作っていること

例えば、「Aさえあれば、私は〇〇のようなことができる」や「AだからBができない」など劣等感を言葉に出し、環境などのせいにし、本来は自分は優秀である可能用にふるまうこと

優越コンプレックス
あたかも自分が優れているかのようにふるまい、偽りの優越性に浸ること

例えば、自分の過去の栄光をずっと語るや、権威の力を借りて、大きくふるまわしてる、自分の手柄を自慢しているタイプなど。
自慢をすることは、劣等感を感じており、優越感に浸りたいだけ。
(本当の金持ちは、自慢しないや宝くじ当たったときは、今でも昔でも間違いなく自慢したいなど。(笑))

劣等感を持つことが悪いではなく、これらのコンプレッスを持つことが問題。「劣等感」と「劣等コンプレック」の違いを理解することも大切。

縦の関係ではなく、横の関係。

劣等コンプレックスも優越コンプレックスも人と比べることで起きている。そのため、アドラーの心理学では競争も、他者比較も必要はない!
縦の関係であり続ける限り、「勝ち」「負け」や「他社との比較」があり続ける。

健全な劣等感とは、他社との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれること

人との違いは必ずあるもの。人は「同じでないけれど、対等である」。
他者との違いを認めること、誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、などこれらは「負け」でない。
お互いが学びあうことで、「敵」ではなく本当の「仲間」になることができる。(=横の関係であること

すべての悩みが対人関係の悩みである理由

他者を「敵」だと見なし、「仲間」と思えない理由は、人生のタスクから逃げているから

アドラーの心理学では、人間の「行動面」と「心理面」の在り方について目標を持っている。

行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
心理面の目標
①私には能力があるという意識
②人々は私の仲間であるという意識

これらの目標は人生のタスクと向き合うことで達成ができる

人生のタスクとは…
一人の個人が社会的な存在として生きていこうとするとき直面せざる得ない対人関係のこと。また、人生のタスクは人生の成長過程で外せない3つのタスクに分けられる。

3つのタスクとは、
①「仕事のタスク」
仕事上でやり取りするお客様、同僚、上司など仕事上で、直面する対人関係

②「交友のタスク」
高校、大学での友達、社会人で知り合った仲間など生活で直面する対人関係

③「愛のタスク」
親、家族、彼女、奥様、お義父さん、お義母さんなど一番身近な対人関係

今置かれている立場や環境のせいまた、誰かに責任転換するのではなく、自分自身が自分自身の責任で、これらのタスクから逃げず、向き合うことが重要になる。また、乗り越えるためには、こちらも「勇気」が必要となる。

【アドラーの心理学で大切なこと】
アドラーの心理学は、所有の心理学ではなく、使用の心理学。
与えられるではなく、自分自身が与えられたものをどのように使うかで変わる。そのきっかけには、少しの勇気がいる。

「世界はシンプル」
「人間の悩みは、すべての対人関係の悩みである」
なわけないと思っていたが、全ては「他人・環境」ではなく、「自分自身」と意外シンプルだった。自分の行動面・心理面を再度認識し、取り組んでいくことで、世界は意外とシンプルに見えるのではないか。ただ、実行し、自分の人生を生きるためには、「少しの勇気」ではなく「凄く勇気」がいることなのでわ…という疑問も…。
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自分の人生を自由に生きる

アドラーの心理学では、承認欲求も誰かのために生きることも否定をしている。
褒められるとやる、褒められないことはやらない、罰せられなければ悪いこともやるといった誤ったライフスタイルにつながるのは、賞罰教育の影響。そのため、行動を評価するのは自分ではなく、他人になってしまっている。

他者の評価を気にせず、他者から嫌われることも恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

よって、他者に嫌われることが、自分の在り方(ライフスタイル)を自分が決め、生きていくことにつながると説いている。

対人関係の悩みを解決する方法

自分の課題と他者の課題を分離し、自分の信じる最善の道を選ぶこと

「課題の分離」=他者の課題を切り捨てる
これが誰の課題なのかという視点から自分の課題と他者の課題を分離すること。=他者の課題に踏み込まない(介入しない)

対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むときにおこる。
良いことだと思い、踏み込むこともあるが、他者の課題ではないことを解決できるのは、他者だけ。(7つの習慣近いしことを言っていた。解決策は自分が持っている。他者ができることは、アドバイスではなく、深く聞くことだけ)

そのため、
他者の課題に介入せず、自分の課題に誰一人介入させないことが大切

課題を分離するため、自分の課題か他者の課題か見分けることが重要になる。そのための問いは1つ。

その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのはだれか?を考えること

課題の分離をすることで、他者ではなく自分自身の人生を生きることになる(=世界はシンプルになる)。しかし、このメッセージの捉え方によっては、人との関りを断絶するようなメッセージにも聞こえるが、決してそう言っているわけではない。あくまで課題の分離は、対人関係の入り口とされている。

課題の分離という入り口から入り、最終目標はどこにつながるのか。どのような対人関係をアドラーが説いているのかは、次のお話。

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「人間の悩みのすべては対人関係の悩み」
嫌われ勇気①と同様にアドラーの心理学は、常に自分自身に説いている。(利用の心理学)
普段社会の中で生きていると自分自身の小ささを感じる。(笑)(できないことが多いからだろう)ただ、アドラーの話では、それすら間違い。これからどう生きていくべきかを外にベクトルを向けるのではなく、自分自身に向けることで、もっとシンプルに物事が見れると教わった。周りを変えることには「凄く大きな勇気が必要」だが、自分の考え方を変えることは「少しの勇気」で確かにいける。

よし。娘以外には嫌われる勇気を持とう。(笑)​

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。



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