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日常に疲れている人へ〜「人に与える」よりもまずは「自分に与える」が先〜


『人に与える』というのは,あらゆる分野で人生最強の成功法則だ。言い古されていることではあるけれど。

恋愛でも,仕事でも,結婚でも,友人関係でもそうだ。わたしが会いたいと思ったり,尊敬している人は,だいたい『人に与える』ということを素で実践しているように思う。

『与える』といっても尽くす必要があったり,自己犠牲に生きるべきというものではない。
ちょっとしたサービス精神を働かせる。それで十分だ。
人を笑わせる。少しの工夫で人を喜ばせる。自分の得意分野で何かに貢献する。

このような発想をもって振る舞っていれば,わざわざ見返りを要求しなくても,自然と信用が得られたり,愛されたりするというものだと思う。

——

ここまではわりとよく聞く話だろう。
こんなことが書いてあるビジネス書は世の中に溢れている。
「人に与えよ」
「ギブの精神」
「奉仕の心」

たとえば,こういう本が売れている。

それを踏まえ,ここから先が本題だ。

わたしは,「人に与える」ためには,「自分で自分に与える」ことも大切だと感じる。
疲れたと感じたら休息を与える。
満たされない想いを感じたらその想いを満たしてあげる。
まずはそのことを考えたほうがいいと思うのだ。

なぜなら,身体的,あるいは精神的な『余裕のなさ』は,「人に与える」ことを思い切り妨げるからである。

余裕がないと,人に与えることは難しい。
ある精神科医が『余裕のある人がモテる』とおっしゃっていたが,それは,『余裕のある人は,人に与えることができるからモテる』ということではないかと理解している。
身体的,精神的に満たされた状況でこそ,人は人に与えることをしやすいのだと思う。
コップに水が入っていなければ,人に水を与えることはできないということだ。
バファリンの半分は優しさでできているが,優しさの半分は体力と精神力でできているのだ,と思う。

夫婦喧嘩での定番のセリフって次のようなものだったりしないだろうか。
「俺は疲れてるんだよ」
「わたしだってしんどいのよ」

そうだ。疲れているんだ。
だから,お互いに相手を思いやる心の余裕がないんだ。
こういう場合,なんとか工夫してお互いの心身を回復させることを優先すべきだ。

自分のHP(体力)もMP(精神力)も少ない状況で,相手に回復魔法をかける余裕なんてない。宿屋で寝るべきなんだ。自分に薬草を与えるべきなんだ。

自分の体力や精神力と「人に与える」余裕が連動していることは,わたしも日々の仕事でも確かに実感する。

体力精神力ともに充実しているときには,同じように人の話を聞く場合でも,共感力の高さが半端なく高い。これに対して疲れ切っているときに長話を聞いていると(それでももちろん話は聞くのだが)共感力が圧倒的に低下してしまっているのを感じたりする。
共感に限った話ではないが,体力精神力と優しさが連動していることは,皆さんも実感されるのではないだろうか。

だから,最近『人に与える』ということをできていないと感じる場合には,とにもかくにも無理をしないで休んで自分の精神と身体を回復させることが重要なのではないか,と感じている。

自分を大切にすることが,人を大切にするためのスタートラインだから。

疲れているときには,ゆっくり休んでもいいのだ。
それが,巡り巡って,人を喜ばせることにつながっていくのだから。

近年のビジネス書やネット記事には「人に与えよ」系の話が多くてちょっと胃もたれしている人もいるかもしれない。そういう人に,このコラムを読んで「自分に与えていいんだ」と感じてもらえたらうれしく思う。

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