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つけめんヒストリ  エピソード10

 居候の猫たち

  「みっちゃんもだんだん一雄さんに似てくるね」
  「ええっ、そう?どんなとこが?」
  「音楽、コーヒー好きになってるじゃないの、仕事熱心だし」
  「仕事はおじさんほど熱心じゃないけど、音楽、コーヒー好きとかは確       
   かにそうだね。気づかないうちにおじさんに影響されてるのかな」

二三子と一雄は光男と再従兄弟の関係にあたり、光男が物心ついた頃から親しい存在だった。
離れて暮らしてはいたが大勝軒の行楽で、春は潮干狩、一泊の慰安旅行、夏は海水浴、その他丸長のれん会の集いなどでいつも顔を合わせていた。
中学生当時、親に反抗していた光男だったが、二人が代々木上原の実家に尋ねてきた時にはにそんな自分が恥ずかしく思ったのだった。
この道を歩むことになり、理想とする自分の姿を実現するため、一雄がお手本になっていた。

「上原のお父さんとかコーヒー全然飲まないんじゃないかしらね」
「あ、そういえば親父はコーヒーは全く飲まないね、こりゃアクが強いとか
 言ってほんとに嫌いみたい、もっぱら日本茶だね」
「はははあ、そうだ兄貴はほんとに和食が好きだよな、朝も魚だけ食べて済
 ませるし、パンも食べないものな」
    
その時、何処かでネコの鳴き声がした。
一匹の猫が二三子の足元で甘えていたのだった。
子供のいない二人にとって、ネコは毎日の生活の癒しになっていた。
一雄は巨人ファンということもあり、黒猫の名がクロマティ、雌猫は自分の名から名付けた一子ちゃんなど、居候していた猫が常時3、4匹いた。
過去には感動的な事件があった。
店にいた猫が突然行方不明になり、二人は心配して数日間近所を探し回ったが発見できず、探すのを諦めた。
しかしそれから実に数年後、ボロボロに傷ついたその猫が舞い戻ってきたのだった。
店が引けると、ネコたちがやって来るのが恒例だった。
猫だけでなく、人間までも来ていた。
閉店後の夕飯時を狙って近所の顔見知りの若者が、二三子の作った賄いを目当てに来ていたのである。
その経緯は、たまたま閉店後に腹を空かして来店した若者がいた。
そばは売り切れて、がっかりして若者が諦めて帰ろうとした時だった。
あまりに不憫に思ったのか、見兼ねた二三子が自分たちの賄いを与えたのだった。
この噂がどこからか広まり、数人のタダ飯食いがありつきに来ていたのである。
突然、茶箪笥の上から一匹の猫が、光男を目掛けて膝の上に飛び乗った。

「うわっ、びっくりしたぁ、焦ったなぁ」
「あら、だめよ一子ちゃん。お兄さん驚いてるじゃない、ごめんなさいね」

心臓が飛び出るくらい驚いた光男は、一瞬何か置物でも落下してきたのかと思った。
両親は店で忙しく働いていたので、ペットを飼うという余裕はなく、光男の母三枝はどちらかというと小動物を嫌っていた。
面倒を見るのが嫌だったらしい。
光男はそれまで猫と触れあう経験などなく、どう対応したものか戸惑った。
邪険にするわけにもいかず、恐る恐る背中を撫でることにした。

「なんか気に入られちゃったのかな、甘えてるみたいだね」
「そうみたいね、なついているわ、ふふふふ」

猫の毛は思ったよりも硬いものに感じた。
俗にいう猫撫で声というのを初めて聞いた気がした。

「さあさあ、お腹空いてるでしょ、こっちに来なさい、おいしいのあげるから」

そう言って二三子は店の冷蔵庫から生の甘エビを取り出した。
それを見た一子ちゃんと他の猫達が一目散に餌に向かっていく。
猫の餌は、いつも行く上野のアメ横で買い求めていた。
休日に一雄と二三子は、食料品やらレコードなど音楽関係の趣味の店を覗いて歩くのが日課だったのである。

「えー、猫にそんなもの食べさせてるの」
「そうなのよ、この味を覚えて、他のものは受け付けなくなっちゃったのよ
 ね」
「ちょっと贅沢すぎるんじゃないの、人並みのものを食べるんだね」
「本当よね、あとはマグロのお刺身とかも好きなのよ」
「そこまでしなきゃならないのかな、それにしても幸せな猫たちだ」

猫可愛がりとはこのことなのだろうか、二人の心情に呆れた光男だった。
しかもほとんどが野良猫で、いつのまにか居着いていたのである。


昭和60年 光男結婚 仲人一雄 

東池袋と中野の相違

「ところでみっちゃん、おそばはもう食べたの? うちの味は覚えた?」
「えっ?」

光男は一瞬二三子の突然の問いに躊躇し、言葉に困った。
二三子は、この東池袋大勝軒の味が至高のもので、光男が同じ味を中野で実現するためにここに来ていると思っているらしかった。
毎日食べるこのもりそばの味に、二三子は相当な自信があるのはわかっていた。
本当のもりそばは、この味なのよと言いたいことが伝わってくる。

価値ある一杯だった。
それに二人の情がプラスされて、さらに何倍もの価値になる。
一雄が理想の味、質、量を追い求めるもりそばの価値は、行列する客が何よりの証明となっていた。
特製もりそばを味わい、一雄と二三子の真摯な姿に触れると、客は自分の居場所を二人に見いだしていく。
舞台裏に隠された努力と、裏の無い情が客に伝わらないわけがない。
光男は実際に、この店の開店時から進化し続けるもりそばがどんな作り方なのかを知りたい好奇心はあった。
そして作り方で良いところとは真似したい。
それでも客の一人としてここでしか味わえない、もりそばを食べたいという純粋な気持もあって池袋を訪れていた。 
味を覚えようという目的はなく、同じ味を中野で実現させようという気もなかった。
  
「あっ、それはなんとなくね。だけどこの味を真似するのは大変なことだと
 思う」
「みっちゃんならできるでしょ、同じ味作れると思うわ、おやんなさいよ」
「フーちゃん、それはちょっと無理だよ、だいいちおじさんの作り方じゃス
 ープに原価がかかり過ぎるし、それに多分今のそばの小麦粉を全部変えな
 きゃならない」
「え、そうかしら、そこまでしなきゃダメかしらね」
「麺とスープのからみ具合がずれて、合わなくなると思う」
「そうだな今の中野は中野の味があるんだよ、それは変えられないだろう」 
 
一雄は光雄の立場を理解して、言葉を繋げた。
   
「兄貴は昭和29年に代々木上原に店を出して、上品な土地に合わせて味を変
 えてきた。元々の中野の味を出しているのは俺だけだよ。
 中野も俺がいた時と少し変わってるんじゃないか、人が変わればまた味も
 変わるからな」
「おじさんの後に清さん、昇氏、功ちゃん、横山さん、その後が自分か。昭和36年の中野のがどんなものかわからないけど、変わってるかもね」

弟子であれば師匠の味を覚えてこれを実践する義務がある。
基本を忠実に覚えこれを踏襲して、その後に「御当人ラーメン」と言われるまでに自分の味を創造していく。
中野の味はそれまで、それぞれの責任者が任されてきた味の特徴があり各々独立を果たしていった経緯がある。
このことは特徴的だった。
父正安にしても代々木上原の店の仕事が忙しく、中野の店の味のことまで手が回らなかった。
一雄が中野を去ってからは味も変遷していた。
光男は一雄とは親戚同士だが、一緒に働いたことはなかった。



平成4年大勝軒 春の例会

光男が中野大勝軒に入店した時は、既に太麺で小麦本来の味を充分に活かして、これに合うさばダシの効いたスープを維持していた。
つけそばは、東京の中華そば清湯スープの延長線上にあり、麺はうどんに近い食感を持たせて、これにあう出汁で提供することと捉えていたのである。
そのことはすでに地元で多数の客に支持されていた。
同じ大勝軒の暖簾を掲げてはいるが全く異なるつけめんだった。


一雄独自の味


「だけど今おじさんのやってることって、とんこつに近いよね」
「そうだ、とんこつだよ、全て使い切って出し切ることだ、仕込みに湧いてくるアクもそれなりの旨みがある、アクを取り除くことにそれほど拘らない」

一雄は言い放った。
九州で馴染みの白湯スープ、とんこつと同じだという。
その頃東京で席捲していた、とんこつラーメン。
同じ豚のガラを使うわけだから東京ラーメンもとんこつに違いはないのだが、作り方の過程には大きな違いがあり呼び名を変えることで区別されている。
他の大勝軒、丸長系列店では通常スープは朝仕込んで、その日の昼に使うので比較的煮込み時間が短い。
また決して、スープを強火でグラグラ煮ることはなく、豚ガラ、鶏ガラを使用しての2~3時間の煮込みだ。
したがって、どうしてもボディとなるスープが薄くあっさりするため、これを鯖節、鰹節などの出汁で補う。
一雄はこのスープに満足しなかった。
彼にとっての問題は、とんこつラーメンのように長時間煮込んで旨味を引き出すことができないことだった。
この不満を解決するため多量の挽肉を惜しみなく使い、さらにゼラチン質のコクを出すように下処理した豚足を加えて、火力を強くし速攻で旨みを引き出した。
さらに市販の業務用缶入りスープ、黒胡椒他スパイスを投入し、仕上げには化学調味料を加えた。
光男にはそれが衝撃だった。

そんな話をしていると時間は午前2時を過ぎていた
いつの間にか二三子の姿はなかった。
 
「あれもうこんな時間、帰らなくちゃ」
「ああ、良いんだよ」
「お暇しました、こんな時間まですみません」 
「兄貴によろしく言っといて」
「今親父にはほとんど会ってないですよ、今中野に住んでるから」
「あそうか、そうだったね、ちょっと待って」

そう言うと一雄は茶箪笥の引き出しから封筒を取り出した

「これ」
「何、これ」 
「タクシー代」 
「えっ 困るよ、おじさんこんなことされちゃ悪いよ」
「良いんだよ 悪がらんで」

悪がらんでという言葉を初めて耳にした。
言葉の意味はその会話の一瞬で理解できたが、そのような言い方は自分の親でも使わない。
信州で使う表現なのかと思ったが、そのまま誰に聞くこともなかった。


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