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坂口光男 日本つけ麺学会名誉会長 丸長のれん会会長 つけめんの誕生と同じ昭和30年に…

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坂口光男 日本つけ麺学会名誉会長 丸長のれん会会長 つけめんの誕生と同じ昭和30年に生まれました https://www.taishokenusa.com/ https://www.facebook.com/groups/tsukemen

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  • つけ麺の歴史的考察

    2023年11月15日日本つけ麺学会設立総会で、つけ麺が社会に認知された経緯をお話しいたしました。

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つけ麺の歴史的考察

    • 丸長のれん会15周年記念誌 年譜 

      昭和22年に青木家の兄弟から始まった丸長は昭和34年に、同じ志を持った18名の店主によりのれん会を結成します。 昭和49年、今から半世紀前に丸長のれん会創立15周年記念誌が作られました。 昭和34年から昭和49年までの事業経過 昭和34年度 1月26日   創立総会を栄龍軒にて開催。       初代会長に青木勝治氏を選任した。       山田陶器 現東海陶器の瀬戸物展示会を実施、好評を博した。 昭和35年度 2月4日   定期総会 並びに 新年会を 料亭

      • 丸長のれん会創立15周年記念誌

        昭和49年今から半世紀前、丸長のれん会創立15周年記念誌が作られました。当時独立希望の若者たちが増える中で、創業者たちの苦闘の歴史を知ってもらおうと「のれん会のあゆみ」が綴られています。 のれん会のあゆみ 昭和20年8月、長い間の太平洋戦争は終わった。 戦火によって東京は瓦礫の街に変貌し、虚脱状態となった。 食料不足は敗戦というショック とともに一層の危機に達し、都民の多くは栄養失調となり死者を出す悲惨などん底に叩きのめされた。 戦後も2年経つと虚脱状態から立ち直る

        • つけめんヒストリ エピソード5

          初めてのつけそば 麺釜の脇の作業台に小鉢十数個が並べて置いてある。 小鉢は直径12センチほどのスープ碗で、これに具材と調味料が入っている。 具材は短冊切りの焼豚、めんま、細切りナルト、海苔。 調味料は砂糖、酢、味の素、七味。 この小碗に醤油たれを入れ、ラードの浮いた熱々のスープと刻み葱を添える。 するとほのかな魚出汁の香りが漂ったかと思うとコクのある豚ガラスープ、そして醤油と少しの酢の匂いが鼻につく。 これが正安の命名したつけそばだった。 上原に移転してから中野に遅れること

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        記事

          つけめんヒストリ エピソード4

          おみやげ惣菜 店舗拡張して新たに増設した惣菜コーナーでは、毎朝蒸した焼売、餃子をショーケースの中で盆に並べて窓口販売した。 これらは経木で包んで、さらにそれを包み紙で折り畳んでおみやげにする。 当時はまだポリスチレンなどの包装材は無く、弁当や料理を手ぶらで持ち帰ることはできない。 テイクアウトという言葉さえもない時代だった。 持ち帰り弁当の「ほっかほっか亭」は昭和51年に創業される。 昌枝とホールの女子従業員がこの総菜コーナーの主な担当で、ホールが忙しいときは厨房にいる誰か

          つけめんヒストリ エピソード4

          つけめんヒストリ エピソード8

          正安が一雄を訪ねる 正安が栄楽に入店して3年が過ぎた。 3年間で統制経済も緩やかになり、この商売もなんとか見通しができる世の中になっていた。 青木家の義兄弟たちは固い絆のもとにそれぞれ分離独立して商売を始める。 栄楽は6男保一が受け継いで、正安自身も諸先輩に続いて念願の独立を果たすべく毎日を忙しく過ごしていた。 そんなある日久しぶりの休日に、一雄に会いに出掛けることにする。 一雄は前年に上京し、墨田区の荒川にほど近い旋盤の工場で働いていた。 正安は工場にいた職人の一人に声

          つけめんヒストリ エピソード8

          つけめんヒストリ エピソード 12

          中野ボディビルセンター 中野五差路に戦後の面影を残す映画館「中野光座」があった。 大きな建屋はエンジ色のブリキで覆われていて、その隣には「中野ファミリーセンター」がある。 闇市を思わせるこの商業施設に肉屋、八百屋、乾物屋などがあり、中野ボディビルセンターはこの2階にあった。 光男は休みの日に尋ねることにした。 2階を登った踊り場入り口にはシューズが所狭しと置いてあり、熱気が部屋の外まで伝わってくる。 恐る恐るドアを開けると、人の叫び声が部屋中に響いてコーチらしき人の大声が聞

          つけめんヒストリ エピソード 12

          つけめんヒストリ エピソード 11

          光男中野へ入店 光男は中野大勝軒での仕事を始めてから1年あまりで7キロ痩せた。 「あれ、えーっとお客さん何を召し上がりましたか」 「ああ肉入りつけそば」 「あっ、すみません、そうでしたね、肉入り400円です、毎度有り難うございます」 会計を済ませると直ぐに丼を片付け、次の客を案内した。 店長の横山は、手際よく竹柄そば揚げでラーメンを作り終えて光男に客席番号を指示して運ばせた。 「チャーシューメン1番、ラーメン3番お待ち!」 「お客さま、お待たせしました!」 「そば揚が

          つけめんヒストリ エピソード 11

          つけめんヒストリ  エピソード10

           居候の猫たち   「みっちゃんもだんだん一雄さんに似てくるね」   「ええっ、そう?どんなとこが?」   「音楽、コーヒー好きになってるじゃないの、仕事熱心だし」   「仕事はおじさんほど熱心じゃないけど、音楽、コーヒー好きとかは確           かにそうだね。気づかないうちにおじさんに影響されてるのかな」 二三子と一雄は光男と再従兄弟の関係にあたり、光男が物心ついた頃から親しい存在だった。 離れて暮らしてはいたが大勝軒の行楽で、春は潮干狩、一泊の慰安旅行、夏は海

          つけめんヒストリ  エピソード10

          つけめんヒストリ エピソード9

          光男と一雄 店はすでに閉店して照明は消されていたが、厨房にはまだ明りがある。 正面の右端にある勝手口から中に入ると、強烈な匂いが鼻をつく。
 コンロの火は消され、スープガラのダシが出つくして煮詰まった匂いとメンマ臭だった。
   「こんばんは」   「おおっ、みっちゃん来たな」   「おじさん久しぶり、今日も忙しかった? 」   「ああ、まあまあね、今終わったとこだよ そば食べるだろ?」   「あっ、ほんと嬉しいなぁ、いつもすみません、あてにしてきました」   「そっちに

          つけめんヒストリ エピソード9

          つけめんヒストリ エピソード 7

          青木家の兄弟 昭和20年、戦時下の空襲で半分の家屋が焼失し、至る所で焼野原となった東京。 バラック小屋が建てられ、さながら避難民のような人々が暮らす風景。 「光は新宿より」で始まった東京の闇市は各主要駅周辺に瞬く間に広がった。 統制経済で政府は、不足する物資、食糧の消費量を制限し、米、小麦粉などの主要農産物は配給制であった。 人々が必要とする食材や物資は、極度のインフレも重なり圧倒的に不足して浮浪者が増え餓死者がニュースになっていた。 庶民は自ら農村部への食糧の買い出しや

          つけめんヒストリ エピソード 7

          つけめんヒストリ エピソード6

          一雄の独立 昭和36年山岸一雄は大勝軒として初めての独立を果たす。 前年には幼馴染の二三子(ふみこ)と結婚して、中野大勝軒に入店してからちょうど10年を経ていた。 その店の場所はかつてスガモプリズンと呼ばれた戦争犯罪人の収容施設があり、長い塀に囲われた建屋がある寂寥とした町であった。 スガモプリズンは第二次世界大戦後に東京拘置所がGHQに接収された施設で、A級戦犯の処刑もここで行われていた。 現在は池袋サンシャインシティと東池袋中央公園となっている。 国鉄池袋駅からかなり離

          つけめんヒストリ エピソード6

          つけめんヒストリ エピソード3

          代々木上原大勝軒開店 代々木上原は坂道が多い。 大山町の高台にある湿地帯から代々木深町へ続く小川は、宇田川となって渋谷川に流れる。 尋常小学校唱歌「春の小川」のモデルとされている河骨川は、初台から参宮橋を通り、同じように宇田川へと合流する。 現在小川は暗渠の遊歩道に変化して、その面影を残している。 その昔台風などの豪雨時には、代々木上原の低地から渋谷方面にかけて冠水する場所が多くあった。 代々木上原駅改札を出て踏切を渡ると、坂道になって上原銀座商店街がある。 井の頭通りへ抜

          つけめんヒストリ エピソード3

          つけめんヒストリ エピソード2

          赤飯事件 栄龍軒の青木甲七郎(あおきこうしちろう)の世話で、見合い結婚した坂口正安(さかぐちまさやす)と光枝(みつえ)の間に昭和28年、長男勝正(かつまさ)が生まれた。 橋場町で正安と山岸一雄(やまぎしかずお)が大勝軒を開店してから2年が経過していた。 特製もりそばが誕生する2年前のことである。           青木兄弟ら丸長店主からも着物、ケープ、前掛け、玉子などの御祝いを頂き、そのお礼にと赤飯を炊いて配ることになった。 店の営業後に正安が赤飯の仕込みをすることに

          つけめんヒストリ エピソード2

          つけめんヒストリ   エピソード1

          丸長のれん会創立60周年 平成30年に丸長のれん会は創立60周年を迎えた。   丸長のれん会とは、主に関東近県に中華そば店を経営する店主たちの集まりで、丸長、大勝軒、丸信、栄龍軒の屋号を掲げる。 丸長の謂れは、会の創設者たちが長野出身であることから長野の長を店の屋号とした。   3月、東京中野サンプラザに於いて店主、家族、取引先商社、メーカーそしてラーメン愛好家、丸長友の会の方々ら大勢のお客様

          つけめんヒストリ   エピソード1