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丸長のれん会創立15周年記念誌


昭和49年今から半世紀前、丸長のれん会創立15周年記念誌が作られました。当時独立希望の若者たちが増える中で、創業者たちの苦闘の歴史を知ってもらおうと「のれん会のあゆみ」が綴られています。


昭和49年発行の記念誌原文 二代会長 青木甲七郎氏




のれん会のあゆみ


昭和20年8月、長い間の太平洋戦争は終わった。
 戦火によって東京は瓦礫の街に変貌し、虚脱状態となった。 
食料不足は敗戦というショック とともに一層の危機に達し、都民の多くは栄養失調となり死者を出す悲惨などん底に叩きのめされた。

戦後も2年経つと虚脱状態から立ち直る息吹が、あちらこちらで台頭し始めたものの物資は極度に窮乏を続け、飲食業界は最大の受難期でもあった。
飲食店には僅かながらの配給物があったが、ほとんどが使い物にならずそのため営業は閉店休業という状態であった。

 22年7月、時の片山内閣は食糧危機突破のためと称し喫茶店を除く高級料理店、飲食店、酒場、飲料店等営業禁止の政令(7.1政令)を布いた。
喫茶店と言っても甘味料 1つ 配給はなかった。 
それでも店を開ければ空腹を抱えた人たちには口に入るものであればどんなものでも売れたから、喫茶店に転業するものが多かった。
盛り場、駅前はどこも 青空マーケット(露店営業)が活気を呈し、 「芋 1袋 10円 」「すいとん1杯 5円」などが飛ぶように売れた。 

一方、崩壊した町から這い出して生きるため、何か手段はないかと 生き抜く人たちが 再建に立ち上がる兆しも 各地で見られてきた。
 行き着くところは 金であり、原材料であった。
そんな世相の22年 4月、青木勝治、青木保一、 青木甲七郎の三氏はお互いに 達者であったことを確かめ合い、 互いに手を握り合い無事を喜び「何か始めよう」 と相談しあった。 
その結果が荻窪3丁目(旧都電 荻窪終点前)にあったバラック建て(間口1間半 奥行き 4間)の1棟を買い取って手持ち現金 11万5000円でしるこ、ぜんざいの店を始めることになった。
もとより 砂糖などあるはずがない。
 ズルチン、サッカリンの代用砂糖で即製ぜんざいを作って商売した。
 お世辞にも スマートな店舗とは言えないが、当時はものさえあれば 売れた時代だ。
 それに加え、国電荻窪駅周辺 という地の利もあって、共同事業は順調に行った。 

しかし、 10月になって一般家庭に小麦粉が配給されるに及んで、利に聡い青木氏らは甘味喫茶に見切りをつけ手動製麺機を購入し、うどん、そば、中華麺の委託加工に営業を切り替えた。 
食料事情は相変わらずだったが、外地からの復員者や引き上げ者たちが焼け残った工場やバラック建ての急こしらえへの作業所で配給粉を使ってのうどんそば 造りが台頭してきた。 
やがて 中華麺の需要も増え始め、青木氏らは中華麺の製造にも乗り出した。
 その年12月山上信成氏を迎え、4人で共同運営することになりその名も「丸長」として本格的にラーメンの営業に乗り出した。


のれん会のあゆみ原文



23年4月、荻窪駅北口前(現在の駅前広場)の華僑マーケットの一部を借り受け、間口9尺奥行き 3尺の立ち食いそば屋を開業した。 
当時はまだ食管法の統制下で主食の米飯、小麦粉販売が禁じられ、その取り締まりもアメリカから小麦粉 救援を受けている関係から一段と厳しかった。 そのため、取り締まりの圏外から逃れるため、営業名義に中国人名を借りる 業者が多かった。
 丸長 もこれに倣い中国人名義で代用麵という名で苦しい営業を取るほか仕方がなかった。
 6月阿佐ヶ谷駅北口前現在(三菱銀行前通り)に支店を開店した。
 26年3月 荻窪川南に青木甲七郎氏が独立開店した。 
続いて青木勝治氏が現丸長本店を独立開店。
青木保一氏が阿佐ヶ谷店を山上信成氏が荻窪駅北口売店をそれぞれ独立開店することになり、 4人 共同運営の丸長を発展的に解消することになった。
 26年 この頃になるとあの忌まわしい 経済統制も撤廃され、またインフレによる所得の向上で消費生活は活況を見せ、飲食業界もしばらく脚光をびる時代に向かった。


丸長創立時の18名と役員


34年 1月、都内各地に丸長のれんを分かち合った18名が、荻窪川南の栄龍軒に集まって丸長のれん会創立総会が開かれた。 
その目的は会員の親睦と相互扶助を基調に、お互いが必要な共同事業を行い、経済的地位向上を図る決意を固め、戦後の長い忍従の時代から希望に燃える新しい時代への準備活動を進めることになった。 
設立総会時の会員メンバーは次の諸氏である。

会長   青木勝治
副会長  青木 保一
同    山上富雄
会計   山上 信成 
同    田川 悟楼
監査   青木甲七郎
総務   深井正信
庶務   坂口正安
会員   関 恒夫
同              浦野信夫
同              池田基弘
同              坂口 博
同              湯元嘉治
同             月岡三郎 
同              坂口義人
同             青木嘉郎 
同             芦原 貞利
同             坂口嘉六

そしてのれん会は規約で、事業活動としての営業の改善並びに技術向上の研究に関する座談会、従業員の雇い入れ、原材料の共同購入、会員および従業員の知識の普及を図る教養および情報の提供、福利厚生に関する行事を適時に実施することを決めた。


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