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健康に生まれるということ

健康について、考えることってありますか?コロナ禍になってから、考え出したりした方は多いかもしれません。また、子供を産んで、子のために考えるようになったとか、自分もいい歳だから、気にするようにはなった。みたいな方はいらっしゃるかなって思います。

特に、若い頃とかあんまり気にしないですよね。仕事やバイトを遅くまで頑張ったり、時間を気にせず遊んだり、好きなものを好きなだけ食べたり…。中高年になっても、特段大病しない限り、神経質に気にすることがないのもまぁよくあることですよね。

今回は、私が先天的に肝臓の疾患に生まれた経験から、健康であることの重要性とその素晴らしさを少しお話ししたいと思います。

■生まれつき病気があるということ

私は生まれつき、肝臓に病気を抱えて生まれました。この世に生を受ける時、大半の人は、健康に生まれるはずです。内臓や脳、骨、筋肉、皮膚などに問題なく、目は見えるし、耳は聞こえ、歩ける、走れる、話せる、手も動く。この記事を読んでくださる方のほとんどは、この状態に該当していることと思います。

しかし、私の場合には違いました。生後数ヶ月で、便の色がおかしいということに母親が気づき、検査などしてみると「先天性胆道閉鎖症」という病気であることがわかりました。1万人にわずか1人の確率で起きる病気とのこと、また比較的、女児に多い病気であることなどを聞いて、母親は「なぜこの子が…」と言葉を失ったそうです。病気の概要と症状は以下の通りです(引用:難病情報センター)

概要
新生児期から乳児期早期に発症する難治性の胆汁うっ滞疾患。炎症性に肝外胆管組織の破壊が起こり、様々なレベルでの肝外胆管の閉塞がある。全体の約85%が肝門部において胆管の閉塞が認められる。また多くの症例で炎症性の胆管障害は肝外胆管のみならず肝内の小葉間胆管までおよんでいる。発生頻度は10,000から15,000出生に1人。1989年から行われている日本胆道閉鎖症研究会による全国登録には2010年までに2516例の登録が行われている。
症状
新生児期から乳児期早期に出現する便色異常、肝腫大、黄疸が主な症状。また胆汁うっ滞に伴うビタミンKの吸収障害のために出血傾向を来す場合がある。それに付随して全体の約4%が脳出血で発症することが知られている。合併奇形としては無脾・多脾症候群、腸回転異常症、十二指腸前門脈などがある。外科的な治療が成功しなければ、全ての症例で胆汁性肝硬変の急速な進行から死に至る。

■一生、病気を背負うこと

闘病については、別の機会にもっと詳しく書けたらと思うので、ここでは詳しくお話ししませんが、「胆道閉鎖症」という病気は「小児慢性特定疾患(しょうにまんせいとくていしっかん)」といって、根治ができない病気です。つまり、死ぬまでこの病気と付き合っていくしか方法がありません。

一生、「健康である自分」に出会うことはありません。「病状の経過が良好な自分」だけです。ただ、健康な人と同じように過ごせるようにしていく努力をする(ちゃんと病院に通う、感染症に気をつける、服薬がある場合は忘れず飲む、身体に無理がかかることはしないなど)ことが一番大切なんです。

■「普通」という呪縛

私のこの病気は人によって病状も様々です。特に違っていることで挙げられるのは移植をしているか否か。移植をしているからとても悪いとか、していないから心配ないということではないのですが、どちらにしても無理をしてはならないことには変わりない。なのに、見た目では全く大病を持っているように見えないということがかなりのネックです。

それでいて、「見た目が普通」に見えているため、日常生活で辛いこともたくさんあります。私の場合ですが、以下のようなもの。

・お酒を飲めないが、理由が病気にあるため、あらゆる飲み会で気を遣う。

・腹部圧迫禁止のため、お腹に力を入れられず、男性だが力仕事できない。

・疲れやすいので、バリバリ働くことが困難で、仕事での残業は基本禁止。

・移植後の服薬の影響で、免疫を抑えているため、感染症に罹りやすい。

・珍しい病気のため、なかなか周囲や社会の理解が得られない。

私は移植をしたことにより、身体障害者手帳が交付され、障がい者となりました。ですが、目に見える障がいとは違い、見た目でわからないという部分はかなりしんどいものです。

■でも「普通」になりたい、近づきたいという葛藤

「さっきと反対のこと言うてるやん!」と思うかもしれませんが、それでもやっぱり「普通の人と同じようになりたい…」と願うことも多いです。

「普通」って言葉が適切かわかりませんが、ここでは「大多数の人が人生で経験できること、挑戦できることを同じように通ること」だとします。例えば「スポーツ、勉強、部活、恋愛、就職、結婚、出産(女性)、子育て」などがありますよね。

私が病院でお世話になっているベテラン看護師さんに聞いた話で、こんなことがありました。

「プロ野球選手になりたいと言って、野球を頑張ってる人やサッカー部で部活をしている人がいる。でもやはり少し無理しているように見える」
「職場に病気のことを話しておらず、体調が悪化した時に、職場と揉めて退職した子がいる」
「彼氏ができたが、彼氏に病気のことを詳しく話さず健康な彼氏に合わせてデートなどしていた。すると案の定、体調が悪化した子がいる」

これらの話を聞いた時、「病気に言い訳したり、甘えたりしている自分は弱いのかなぁ」と思った反面、「無理しすぎだと思うし、もっと自分を労ってあげたらいいのに」と思いました。

私の場合ですが、「スポーツは疲れるし危ないので基本しない」「仕事は基本デスクワークにして、職場にも全面的に病気の話はする」「恋愛においては、自分は男だからなかなか女性にギブできるものがない(バリバリ働けないから経済力がない、運動制限があるしスポーツマンみたいなカッコ良さもない、女性ではないから出産などの形でお返しすることもできないなど)ので自信が持てないし、自分に女性を選ぶ権利はない」など考えていて、いい意味でも悪い意味でもブレーキをかけています。この中で個人的な一番の葛藤は恋愛の部分でした。恋愛についての葛藤はまた書くので、今度ぜひ読んでください笑

何が言いたいかと言うと、結局のところ、やっぱりどこかで自分からでも、周りからでも「○○はできない、または難しいね」とすることが少なからずあるということ。ただ自信がないからとか経験がないから、みたいな感じでストップをかけるのとは違うブレーキがあるんです。それでもやっぱり「(できれば)みんなみたいに普通になんでもやりたい、やってみたい」の気持ちが葛藤やら、モヤモヤになって自分を悩ませます。

■「健康」であることがどれだけ幸せか

noteで私が掲げているポリシーで、「意見や価値観を押し付けるつもりはない」というのがあります。ただ、参考としてでいいので伝えておきたいのは、「健康」であることはすごく「幸福」であるということです。

「健康」であることが当たり前すぎて、「健康」について考えることなんて、ほとんどない。それよりもっと他の「挑戦したいこと」や「欲望」や「夢」に忠実になったり、悩んだりできる。たとえ、全然代わり映えのない何気ない日常でも明日が来ることが当然。そんなことこそが何よりの幸せ。

このnoteを読んでくださっている皆さんへ。長くなってしまいましたが、もしここまで読んでくださっていたら、心から感謝します。普段耳にすることのないようなよくわからない病気の話に、どれだけの人が関心を示すでしょうか?私はそれを期待しすぎてはいません。でも、1人の方でも関心を持ってくれていると嬉しいです。「健康」であることに感謝しろなんて言いません。自分にできるだけ正直に、後悔しない毎日を過ごしてください。

そして、ご自身やご家族に病気や障がいのある皆さんへ。それぞれの病状、障がいの状況は人によってバラバラです。環境も経済事情も全部違います。健康な人や健康だった時を羨むこともあると思います。それでも、日々生きているだけで立派です。(私の主治医がそう言っていました)

今日はここまでにしようかと思います。また遊びに来てくれる嬉しいです!

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