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『サウンド・オブ・メタル』

【安心の所在、自他との対話】

  トレーラーを住居とし、ツアーのため各地を回りながら活動するルーベンとルイーズ、二人は恋人同士だった。まず、トレーラー暮らしについて。日本の現代社会で生きる私からすれば、夢のある話にも思えるが、映画的なことを言えば経済的な余裕のなさ、もっと言ってしまえば将来性が低いことを表す。車は本来移動するためのものである。『リアルスティール』の冒頭もそうだが、車に住まい、各地を転々とし、"住居の場所が安定しない"というのは、経済的な困窮と、のちに触れる精神的不安定を明示する。

  聴覚障害の発覚により、ずっと一緒だった恋人と離れ、右も左も分からない施設で暮らすこととなったルーベンの心は酷く荒んでいた。車のキー(住居=居場所)と携帯電話(恋人との繋がり)を奪われた彼は、新しい環境をとにかく拒絶していた。この段階で彼が考えていたことは「手術を受ければ、"なおる(=元に戻る)"」というものだったろう。施設の仲間たちはご飯を食べながら、騒がしいほど賑やかにコミュニケーションを取っているが、その"音"はルーベンには聴こえない。そんな彼を見かね、施設の管理者であるジョーがルーベンに与えた課題は、"部屋でじっと座ること"。これに対し、ルーベンは馬鹿馬鹿しく感じ、激しい怒りさえ露わにするが、真っ白な部屋の中でふと我に帰る。「馬鹿なのは自分だ」と。ルーベンは一ヶ所に落ち着いていられない性質を作品中でずっと持っている。物語の後半に出てくる話だが、幼い頃は母の仕事の都合で各地を転々としていたらしく、そういった背景がのちのトレーラー生活に繋がったのかもしれない。

  その後、ルーベンは徐々にコミュニティに身を投じるようになる。ダンス鑑賞会の最中に、やや協調性に欠ける風な男の子を外に連れ出し、滑り台をドラム代わりに二人で音を奏でる。この場面に置いて、少年はルーベンの投影、鏡の役割を果たす。無くしたものにすがりつき、その事実を認めず、自分のことに一杯一杯で周りのことが見えないルーベンとの対比として、少年が作用する。一つずつ自身の境遇を認め始めたルーベンは、手話を覚え、子どもたちと遊び、仲間とも積極的にコミュニケーションを取っていく。ここで彼は一度、心の安定を感じることになる。何もない部屋でじっと座り、窓の外を眺める。自身の外界のことに目を向けられるほどに、彼は落ち着き、コミュニティの中で安らぎを感じていた。"自分の居場所がある"という安心感だ。自覚こそなかったかもしれないが、彼は自分の中で安定していたのだ。

  一方でルイーズが単独での音楽活動で一定の評価を受けていることをルーベンは知り、再び動揺することになる。二人の居場所であったトレーラーを売り払い、内耳インプラントの手術を受け、施設に戻った彼は、ジョーの前で胸の内を吐露する。ルーベンにとって、「世界は動き続けていて残酷な場所」であり、誰も助けてはくれない、と。ジョーがルーベンに望んだ"静寂"は言わば心の平穏を得られる居場所のことであり、それは自分自身を受容れること(=己との対話)ではないだろうか。恋人の去就に心を乱されたルーベンは、施設を出て恋人ルイーズへと舵を切るが、その彼女もまた、動き続ける世界のひとつだとルーベンは気づいていなかった。久しぶりに再会したルイーズは、以前と同じようにルーベンに接するが、ある程度の経済的成功と、それにより変化した環境の中にいた。それによりルーベンの視界は再び輪郭を失い、ぼやけた世界の中で彼女と別れることになる。フランス語の歌と再発する自傷行為。ルイーズも恐らくこの恋愛の終わりをどこかで予感していたことが、彼女の涙でわかる。バンド活動をしていた頃の金髪や脱色した眉が様変わりしていることが、二人の精神的な意味における自然体を表す。これは破滅に向かう愛だと認め、二人は別れることになる。

  彼女の家を後にし、ルーベンは街の喧騒の中でひとり、ベンチに座り、補聴器を外し、外界に目をやる。時計台の時報は聴こえず、ただただ静かな時が流れる。過去の修復に躍起になっていたルーベンだったが、静寂の中で、遠くぼんやりと一点を見つめていた。動き続けて変化する他者や外界に自分の居場所を求めるのではなく、自分の中に自分を置くこと、そこにこそ静寂があり、安らぎを得ることができる。だからこそジョーは今も自室で筆を取るのだ。それをルーベンにもわかって欲しいというジョーの願いは叶わなかったが、ラストシーンのルーベンは確かに静寂の中にいたのだった。

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