あたりまえすぎる、ローマ哲学者の仕事観(後編)
【3/3】 誰のために、あるいは誰とともに仕事をするのかという問題
仕事の悩みは、ほぼ人間関係の悩みと言っても過言ではない、と思う今日このごろ。
そうは言っても人間関係はなかなか選べない。
セネカ師匠も、ここでは、じゃあどうやって選ぶのよ?みたいなことにはお茶を濁している感があります。いわく、
・秘密を守れる、なんでも相談できる人
・快活な人
・欲の少ない人
・なるべく心の汚れてない人
がよく、
・陰気な人
・いつも愚痴ばかり言っている人
は、とくに避けたほうがよい。
という、あたりまえの話に…。
ただ、「誰とともに」ってわりとわたしたちは考えるけれど、「誰のために」は失念しがちだと思いませんか?
『すべては、患者さんのために』by沢井製薬、じゃないけど、患者も大事、だけど医療者が潰れたら結局は患者にしわ寄せがいくわけで。持続可能性ってほんと大事。
【おまけ】 出世すればするほど幸福か?
さて、いまどきは出世したくない人が多いと聞きます。
そこで、近くにいた若手に「店長とかやりたくないの?」と聞いてみたところ(サンプル数2だけど)、口を揃えて「やれと言われればやりますけど…」とのこと。
それは…やりたいけど、ハイハイ!!やります!やらせてください!とは自分からは言わんよ。人を蹴落としてまではやりませんよ。けど、やりたいのよ。たぶんオレできるよ。ってことかしら?
現場から店長、というのは別に無理な出世ではないと思うけど、役職を上げることが目標になるとしんどいでしょうね。ポストにも限りがあるし。
有名なピーターの法則「人は無能レベルまで出世する」とは、うまいこと言ったもんですが、まあそうなるわなあと思います。
念のため、ピーターの法則とは、簡単な例で言うと、
有能な営業マン→出世して有能な課長に→部長に出世したけどイマイチ→出世できないので無能な部長のまま。という。
これは、本人も周りもしんどいよー。
〈かつての某上司をめっちゃ思い出すわ。超多忙店舗の店長から、エリアマネージャーになったんだけど。上の指示をそのまま下ろしてくる…それならアナタ要らなくない?〉
セネカ師匠の言うように、能力と仕事のミスマッチを避けるべきなのでしょう。
ただ、やってみないとわからない部分もあるからなあ。
昇格させてみて、(会社が、もしくは本人が)無理かも…と思ったら、降格してあげられればいいのですけれど。本人のプライドが〜とか、会社に居づらくなっちゃうかも〜とかの謎の恩情で、結局は周りにしわ寄せがいくのです。
〈かつての某上司はベテラン店長揃いのエリアに配置された=マネージャーとしてとくに頑張らなくても仕事が回る=店長陣がマネージャー抜きで報連相するという図式に〉
でも、若者たちにはどんどん出世してほしい♡
初めての仕事内容について、最初から有能な人はいないのだから、周りも上司の成長をあたたかく見守りたいものです。上司の成長を助けてあげて、うちの店長、デキるでしょ?って自慢したいですよね。(そしたらちゃんと、いやーみんなのおかげですよ!って言いなさいね)
そして、今度はリタイアについても書きたいのだが、それはあんまり「あたりまえ」ではなさそうなので、タイトルを改めますね。ではお元気で。
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