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あたりまえすぎる、ローマ哲学者の仕事観(後編)

【3/3】 誰のために、あるいは誰とともに仕事をするのかという問題

人に関しては、明らかに選択が必要であり、相手がわれわれの生の一部を費やすに値する人たちであるかどうか、われわれが自分の時間を費やしているという事実がその人の心に届くかどうかを考慮しなければならない。

ルキウス・アンナエウス・セネカ『心の平静について』

仕事の悩みは、ほぼ人間関係の悩みと言っても過言ではない、と思う今日このごろ。
そうは言っても人間関係はなかなか選べない。

セネカ師匠も、ここでは、じゃあどうやって選ぶのよ?みたいなことにはお茶を濁している感があります。いわく、
・秘密を守れる、なんでも相談できる人
・快活な人
・欲の少ない人
・なるべく心の汚れてない人
がよく、
・陰気な人
・いつも愚痴ばかり言っている人
は、とくに避けたほうがよい。
という、あたりまえの話に…。

ただ、「誰とともに」ってわりとわたしたちは考えるけれど、「誰のために」は失念しがちだと思いませんか?
『すべては、患者さんのために』by沢井製薬、じゃないけど、患者も大事、だけど医療者が潰れたら結局は患者にしわ寄せがいくわけで。持続可能性ってほんと大事。

【おまけ】 出世すればするほど幸福か?

さて、いまどきは出世したくない人が多いと聞きます。
そこで、近くにいた若手に「店長とかやりたくないの?」と聞いてみたところ(サンプル数2だけど)、口を揃えて「やれと言われればやりますけど…」とのこと。
それは…やりたいけど、ハイハイ!!やります!やらせてください!とは自分からは言わんよ。人を蹴落としてまではやりませんよ。けど、やりたいのよ。たぶんオレできるよ。ってことかしら?

自分より上に立つ者を妬んではならない。聳えるように高く見えていたものは、畢竟、転落の危機にあるものなのである。逆に、不公平な運が逆境に立たせた者は、それ自体、傲ることのできるものがあっても傲る心を払拭し、できるかぎり自分の運命を平地に引き下ろすから、順境に立つ者よりも安全である。実際、自分の立つ絶頂に否応なくしがみつかざるをえない者は多い。
(中略)
しかし、心を翻弄するこうした動揺からわれわれを解き放つ方策としては、およそ栄達や栄華というものに常に限界点を設けておき、それを終わらせる自由裁量の余地を運命に与えず、みずからがそのはるか手前で立ち止まるにしくはない。こうすれば、いささかの欲望が精神を発奮させもし、また、その欲望は制限されたものでもあるために、とめどなく不確実なものへ精神を導くこともないであろう。

ルキウス・アンナエウス・セネカ『心の平静について』

現場から店長、というのは別に無理な出世ではないと思うけど、役職を上げることが目標になるとしんどいでしょうね。ポストにも限りがあるし。

有名なピーターの法則「人は無能レベルまで出世する」とは、うまいこと言ったもんですが、まあそうなるわなあと思います。
念のため、ピーターの法則とは、簡単な例で言うと、
有能な営業マン→出世して有能な課長に→部長に出世したけどイマイチ→出世できないので無能な部長のまま。という。
これは、本人も周りもしんどいよー。
〈かつての某上司をめっちゃ思い出すわ。超多忙店舗の店長から、エリアマネージャーになったんだけど。上の指示をそのまま下ろしてくる…それならアナタ要らなくない?〉

セネカ師匠の言うように、能力と仕事のミスマッチを避けるべきなのでしょう。
ただ、やってみないとわからない部分もあるからなあ。
昇格させてみて、(会社が、もしくは本人が)無理かも…と思ったら、降格してあげられればいいのですけれど。本人のプライドが〜とか、会社に居づらくなっちゃうかも〜とかの謎の恩情で、結局は周りにしわ寄せがいくのです。
〈かつての某上司はベテラン店長揃いのエリアに配置された=マネージャーとしてとくに頑張らなくても仕事が回る=店長陣がマネージャー抜きで報連相するという図式に〉

でも、若者たちにはどんどん出世してほしい♡
初めての仕事内容について、最初から有能な人はいないのだから、周りも上司の成長をあたたかく見守りたいものです。上司の成長を助けてあげて、うちの店長、デキるでしょ?って自慢したいですよね。(そしたらちゃんと、いやーみんなのおかげですよ!って言いなさいね)

そして、今度はリタイアについても書きたいのだが、それはあんまり「あたりまえ」ではなさそうなので、タイトルを改めますね。ではお元気で。

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