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エスプレッソシャーベットの甘い誘惑

今日は立春です。
朝、窓を突き抜ける陽射しが
心なしか温かだなあと
そう思ったのは春のはじまりだから、
だったのですね。

誰に見せるでもなく
1年に1度くらいの頻度でしか公開しない日記。

って、1年ほど前の日記に書いてありました。
まさに、ですね。
ゆるゆると続いております。

この1年、色々なことがありました。
ぼやかしていたけれど、わたしは実は
学校の先生をしていたのですが
色々なことが、
もうどうにもならないくらいにまで
膨れあがってしまった、
……そのために辞職し、
いまはのんびりと事務のような仕事に就いております。

決断できたのは
ソクラテスと茨木のり子さんのおかげ、
かもしれません。

日々、恐ろしい言動のなかに身を置いていたら
耳が変になってしまったことに
わたしは人間の強さを見た気がします。
必死で魂を守り抜いてくれているような
そんな気がして。

魂は磨き続けなければいけません。
智を愛することによって。
ソクラテスの言葉に救われ
自分の魂を守るための決断でした。
守りきれなかったものを
たくさん其処に置いてきてしまったことは
もうじゅうぶん嘆きました。
いつか少し未来で
置いてきてしまった子どもたち、
保護者のみなさまのこと、
大切に思い続けていたからこそ
今のわたしがあると、そう思えるようなことを
やり遂げたいと思っています。

エスプレッソシャーベットの美味しいお店で
溢れ出る涙を抑えることもできず
母を相手に長々とそんなことを語った日のことを
思い出します。
カフェインにあてられて興奮していたのでしょう
真っ赤な顔で少し気分も悪くなって
やむなくタクシーで帰りました。
苦い思いをしすぎて、わたしはもう既に
心が折れてしまっているかもしれない、
ほんとうは手遅れなのかもしれない、
でも、
少し未来のわたしは
思う存分がんばれているだろうか。
タクシーのなかでとろんと夢をみていました。
がんばっていたいです。

とっても濃厚で、苦いのに
とろりと甘くて美味しい
エスプレッソシャーベット。
忘れられない味です。

そうそう
ソクラテスとともに
わたしを救いあげてくださった
茨木のり子さんの詩に「汲むーY.Yにー」
というものがあります。
一部を抜粋し、ここに載せます。

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……

茨木のり子『落ちこぼれ』

わたしは、この詩にいつも立ち返ります。
傷ついたっていい。
そんな心でいていい。
初々しさを大切に。
「震えるアンテナ」を大切に。
そして、
立ち返り、また前を向けるのでしょう、きっと。

いつか少し未来にやり遂げたいこと
それを実現するために
今はある会社に入ろうと頑張っています。
人生は不思議ですね。
苦くても苦くても、甘い夢を見てしまう。
刺激も、求めてしまいますね。

病気も乗り越え
スランプも乗り越え
今がある。
苦くて甘くて刺激的な人生。
これからの自分も楽しみです。
季節はもう春ですよ。最高ですね。