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デジタルトランスフォーメーション

 仕事がスムーズに進まないことにわたしはいつものようにイラついていた。
 都内に本社を構える大手物流会社のとある営業部に務める事務職のわたしは、数メートル先にある、空席の部長席を見つめてまた一つため息をついた。「まさみさんも大変ね」隣の席から年齢が少し上の三十代後半、先輩事務員の今井さんが小声で励ましてくれた。
「ありがとうございます。いつものことなんですけどね」苦笑いを浮かべ、PCのモニターに目を移し、臼井部長から丸投げされていたあらゆる書類の入力を再開した。「わざわざ手書きした書類を事務員に電子化させるなんて、そんなの自分でやればいいのに」わたしはそう思い、黙々と作業を続けた。
 夕方間近、得意先へ外回りしている臼井部長から終日戻らないと事務所に電話が入った。頼まれていた一ヶ月分の経費書類の精算と勤怠入力、手書き営業日報の入力、企画書案の手書きメモを元にパワーポイントで企画書のベース作り、それら全て臼井部長が手書きしたものを電子化し終えたわたしは、臼井部長に完了した旨をメールした。しかし、メールもろくに使いこなせない臼井部長から一言返信が返ってくることはない。
 臼井部長は生粋のアナログ人間で、若い頃は泥臭く足で稼ぐ営業スタイルで顧客からの大口受注をいくつも決めていた。本社から認められ、昇進していった臼井部長は今では、役員間近と呼ばれる地位にまで来ている。部長になってからというもの、当時の営業スタイルに固執し、とにかく営業に走り回れと言っている。当の本人も、営業に出ているので誰も文句は言えないが、内勤メインの私や今井さん、他の部署の事務職の女性たちからは煙たがれている。なぜなら、メールはろくに使いこなせない、コミュニケーションは基本対面か電話だけ、電話のショートメール機能もだめ、ファックス推奨、デジタルのデの字すら分からない臼井部長から仕事を振られると、その日中に終われないという皮肉が事務職員の中で出回っていた。
 翌日、出社した臼井部長から呼び出されたわたしは、直接労いの言葉をもらえるのかと思い、臼井部長に続き廊下に出た。
「まさみちゃん、昨日やってもらった仕事だけどさ、ミスなくこなしてくれてありがたいんだけどさ、せめて終わったら連絡入れてくれないかな」「え、わたし部長にメール入れましたよ」わたしはつい声が裏返ってしまった。
「普通メール入れたら『メール入れたので見てください』って電話するのがマナーでしょ。そういうことができないから、若い子は仕事がうまく進まないんだと思うよ」
 臼井部長がその場から去ってしばらくわたしは、動くことができなかった。怒りというより、臼井部長に対しての哀れみの方が強かった。今のままでは臼井部長がかわいそうだ、なんとかして変えてあげることはできないか、その日以来わたしは考え続けていた。

 スマートフォンのカレンダーを見ていたある日、一つの考えを思いつき、彼氏に協力してもらい数日後、実行することにした。
「部長、今週の日曜日、お会いできませんか? 少し相談したいことがあるんです」わたしはフロアに人がいないタイミングを見計らい、部長に伝えた。「まさみちゃんから誘ってくれるなんて、初めてじゃないか。いつも飲みに行こうって誘っても断るまさみちゃんが急にどうしたの。珍しいね」小言を言いながらも嬉しそうな臼井部長はわたしの誘いを快諾した。臼井部長は家族にうまく伝え、午前中に二人で会うことになった。

 そして当日、指定の場所に現れた臼井部長を事前に待ち伏せしていた黒のバンに押し込み、車内で眠らせた。バンは彼氏の友人が務める、小さなとある病院に到着し、眠った臼井部長の体はあっという間に手術室に運ばれて消えていった。
「ありがとう。協力してくれて」目の前の彼氏は笑っていた。
「まさみのためになるなら、これくらいなんてことないさ。それに、これが本当のデジタルトランスフォーメーションなんだから」彼氏の顔には充実感が漂っていた。
「うん。今日が日本で初めての〈デジタルの日〉記念日なんだ。デジタルを通じて人に優しい社会を作るのを目指すんだって。『#デジタルを贈ろう』っていうスローガンもあるんだよ」
「へー、まさみは物知りだな。それでまさみは日頃の感謝を込めて、部長さんにデジタルロボトミー手術をプレゼントしたんだね」
 彼氏の知人は有名な外科医でわたしが根気よく彼氏に頼み込んで、彼氏から知人にお願いしてもらったところ、意外なほど快諾してくれた。
 奥の手術室からはせわしなく、人が動いている気配が漂っている。だんだん眠くなってきたわたしは彼氏の方にもたれながら「これがわたしなりの『#デジタルを贈ろう』です。喜んでくれますように」とぼんやり考えながらいつの間にか眠りに落ちていた。

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