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指のさきからボールが離れるとき

 いつにも増して、スタジアムはどよめきと歓声に包まれていた。
 かつて一世を風靡し、「鬼殺し」というあだ名をつけられた名投手、楠木繁は、引退試合の先発マウンドに立っていた。
 時刻が十八時になるのを確認すると、楠木は一つ大きく、ゆっくりと息を吐いた。
 球審の岩本は、楠木が新人時代から酸いも甘いも経験している、キャッチャー以上の存在に思えるほどであり、二十年以上の付き合いだった。
 球審が試合開始の合図を告げる。チームはすでにシーズン負け越しが決まり、シーズン終盤の消化試合という見方もできる平日にもかかわらず、楠木を最後に一目見ようと新旧のファンが数多くスタジアムを訪れていた。

 四十一歳になる楠木の身体はすでに投手としての機能を果たしていなかった。甲子園に出場した高校時代、高卒でプロ入りし、ルーキーイヤーで最多勝をあげ、それ以降毎年十勝以上あげる活躍の裏には、骨折や肉離れなどの故障が付きまとっていた。指の骨折をチームに隠して登板した試合は数知れず、どうしてそこまでして試合に出たいのか、どうしてそこまでボールを投げたいのか、すでに楠木自身も分からなくなっていた。もはや、打者に向かってボールを投げ続けるという十字架を背負わされた者なのではないかと思うことさえあった。
 四十一歳の楠木は、シーズン終わりに引退することを以前から伝えており、チームからマスコミに情報が行き渡り、今日の引退試合に至っている。
 監督の粋な計らいで、数年ぶりに先発のマウンドに立った。
 度重なる手術で右腕はすでにぼろぼろで、過去のようなコントロールはなくなり、キャッチャーミットに投げるのが精一杯となっていた。ストライクをとることは二軍のマウンドでもできなくなっていた。過去の実績からか、周の気遣いもあったが、もう野球人生に区切りをつけなければならないと楠木は理解していた。

 ロジンバッグを数回握り、右手になじませる。すでに十八時一分を周り、いつの間にかスタジアムには音一つなく、静まり返っていた。敵味方、観客関係なくまるでスタジアムにいる全員が、楠木の勇姿を最後に目に焼き付けようとしていた。
 バッターボックスにいる相手の一番打者は楠木の事前のリクエストにより、チーム一番の打率を誇る好打者にしてもらった。いつもは三番を打っている、今乗っている好打者だ。
 かつて「鬼殺し」と言われ、数々の一流打者を手玉に取ってきた楠木は、ワインドアップで大きく、かつゆったりと振りかぶり、かつての無駄のない柔らかな投球フォームで第一球を投じようとする。スタジアムは相変わらず無音だった。「やめてくれよ。そんな無音だったら、投げ辛えじゃねぇか」直後、全身と腕に痛みが走る。「やっぱり、もう野球は無理なんだな。二十年以上もよく頑張ってくれたよ。ありがとう」自身の身体に感謝の言葉をかけつつ、気がつくと涙が流れていた。いつからだろう?マウンドに立つ前からか、立ってからか楠木には分からなかった。
「あれ、球審の岩本さん、泣いてねぇか?うん、気のせいだよな。球審が泣くなんて、みっともねぇよ。やめてくれよ、岩本さん。あんたのおかげで二十年以上も投げ続けられたんだから。誤審もあったし、広くストライクを取ってもらって助けてもらったりしたな。でも、最後の試合であんたが球審で良かったよ。ありがとう」
 指のさきからボールが離れるとき、それは投手として全ての終わりへ向かう最後の歩みかもしれない。しかし、と楠木はボールが離れる最後の瞬間に思った。
「終わりであるのと同時に、新しい旅の始まりでもある。人生とは旅を続けることで、目的地に辿りつくことではない。その新しい旅は、人としての自分に変化をもたらしてくれる。これからの人生で向き合っていかなければならない問いかけは、『チームが優勝するために自分は何をしなければいけないか』ではない。『どうしたら最多勝をとれるか、どうしたら良い球を投げられて打者を打ちとれるか』でもない。それは、『パパ、今日、算数のクラスでどんなことがあったと思う?』という問いかけなんだ」そして、指さきからボールが離れていく。

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