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改めての自己紹介、この業界を選んだ理由

お久しぶりの投稿になります🙏
2024年が始まり私も次で30歳になり、子供も2人いるパパになりました🙌
節目でもあり年々増す責任感を糧に今年も頑張ろうということで、こちらのnoteもサボらずに継続しようと考えました。
過去の記事を遡って思ったことが

「こいつ誰やねん…」


ということでこちらのアカウントできて3年くらいになりますが、今回は自己紹介の記事となります。

少し長くなりますが是非お付き合いください。

プロフィール

1994年生まれの29歳の男。
趣味は登山、読書、お酒、HIPHOP、野球観戦、家族時間、サウナ

小学生時代は野球少年⚾️
下手でしたがチームは強く県大会8位。仲間と放課後ランドセルを置いてすぐに走り込みと素振りをやったのがいい思い出です。
スイングの癖があり、重心が極端に前に出てしまい鋭い打球が打てなかったのを、毎晩姿見鏡にテープを貼りながらフォームチェックして修正したり、今思えば自己分析が当時できてたのかなーなんて思います。

中学生時代は黒歴史。
市内で1番偏差値の低い高校にも合格率が30%未満で、素行不良(ヤンキーではなくイキってただけ)で内申点もオール2前後。
野球もやめてハンドボール始めたけど、みんなグレて退部して弱かった。
中学時代は成長というより遊びが何より楽しかった。

高校はハンドボールに夢中に。
おかげさまで全国大会出場、スタメンも守り抜きました。
高校の時はスタメンの僕以外全員彼女がいまして、特に遊ぶこともなく1人で朝練出て練習後も毎日残って練習に明け暮れました🤾

ここで誰よりもやっただろうという、人生で1つ目の自信がつきました。


この全国大会まで残り3週間の時(高2の3月)に肘を脱臼骨折し、神経損傷(グーパーすらできない)も伴い全国大会は欠場。
インターハイ予選すら出れるか分からない中で、今の大師匠と師匠に出会いリハビリをしてもらい、無事競技復帰できました。
このことから「身体のことで人の役に立ちたい」と思い柔道整復師を目指しました。(本当はガチガチな敬語で話さなくてもいいからとかもありましたw)

専門学校時代は修羅。
高校3年の8月に柔道整復師の学校が決まり、高3の夏から接骨院で修行スタート。最初は掃除と患者さんに挨拶をするという感じでした。
専門に入学すると同時に修行が本格化しました。
師匠たちや兄弟子の協力のもと、週の休みはなしで毎日深夜3時まで固定や手技の練習、そのまま力尽きて寝て翌朝そのまま学校に行く…(風呂は入れない日もちまちま)というサイクルが始まりました。(休みはあっても半日とか)
友達家族からは「なんで辞めないの?」「別の接骨院もあるよ」と言われましたが、そんなの関係ありませんでした。
ここで学べば間違いないと思っていたからです。
25歳の時にこの生活が終わり、家にも毎日帰れるようになりました。
この経験が僕の2つ目の自信となる

「僕以外だったら耐えられないだろう」

になりました。
こんな過酷な生活にも関わらず、後に結婚する奥さんと5年間付き合っていたし、友達もたくさんいました!(練習終わってからの深夜3時からとか遊びに行ってたからかもw)
いい経験できて友達や彼女とも良好な関係で最高!って感じです👍

というところでですね、想像よりもちょっと長くなっちゃったんで、
仕事の話は次回に回したいと思います🙏ホントゴメンナサイ

なんとなーく僕ってどんな感じなのかわかっていただけていれば幸いです!
またご覧くださーい!


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