筆箱を並べて戦っていたあの頃

昔、Nakasoneはモノづくり系の仕事をしていた。
その頃のNakasoneといえば、生意気を煮詰めたような、めんどくささがあったと今は思う。
当時は「自分が絶対に正しい」と信じて仕方がなく、自信過剰というよりは虚勢を張っていた気がする。
そんなんだから打たれ弱かった。
すぐヘコむ。
そのくせ誰かを攻撃していなければ虚勢が張れないから、すぐに喧嘩をふっかけていた。
なんという残念なヤツかしら。

それから幾年。
すっかり大人しくなったNakasone。
無用な喧嘩はせず、ふっかけられた喧嘩っぽいのは受け流しているつもりである。
それでも、たまには我慢のならん事を言われたりもするのだけれど、そういう時は早々にその場を後にする。

ずいぶん前に、昔のめんどくささが濃厚だった頃のNakasoneを知る人物と会うことがあった。
Nakasoneはふかふかの体型になっていたこともあり、その人から二度見されたが、すぐにNakasoneだと気づいてもらえて立ち話をしていた。
しばらく話していると、ふとその人が
「Nakasone丸くなったな」
と、ぽつりと言った。
「やっぱり?」
「うん。昔は尖ってたのにね」
「そっか」

若いうちは常に尖っていたらいい。
そう思う部分もあるし、思わない部分もある。
時には相手を受け入れる寛容さも必要だし、譲れないところを「譲れない」と伝える毅然とした姿勢も必要だと思う。

ただ少し、当時は不器用だった。
傷つけなくていい人を傷つけ、傷つかなくていい場所で傷ついていた。
「攻撃は最強の防御なり」
そう思っていた。

沢山の人に出会ったり、沢山優しくしてもらったNakasoneは"少し立ち止まる"ということを覚えた。
沢山の人と話したり、沢山の事を話したNakasoneは"黙る"ということを覚えた。
沢山の人に攻撃されたり、沢山防御をしてきたNakasoneは"忘れる"ことを覚えた。

Nakasoneは記憶力が悪い。
自分で思い込んでいるだけかもしれないけれど、記憶力がとにかく悪い。
同じ間違いをしてしまうこともあれば、何度も電卓を叩くこともある。
映画や漫画や小説は何度読んでも楽しめる。
実にコスパのいい生活をしている。

Nakasoneの数少ない記憶に残っているエピソードは、優しくされた話が大多数を占めているように思う。
沢山優しくされたNakasoneは優しい人間になっているかと聞かれれば「そうでもないよ。」と返す。
しかし「優しさがどういうものか」については"少しだけ"話すことができるようになってきたと思う。
沢山優しくされた分、優しさの貯金が増えて、少しだけ優しさの利子が増える。
その"少しだけ増えた利子"を次の世代に配るのが、最近のNakasoneの課題だと考える。

不用意に仕掛けるのではなくて、まずは最後まで話を聞く。
非を認め、場合によっては訂正する。
自分がされてきたように、今度は自分が還す番だとNakasoneは語る。

飲み屋でコーラを飲みつつ、同じ場に居合わせたビールを飲む人と会話をすることもある。
一期一会。と言うとなんだか寂しいが、次に会うことが確定していない人と話す時は、場が楽しくなるようになるべく努める。
いい人の印象を与えたいと言うよりは、楽しいかどうかで判断する。
嫌な時は帰る。
楽しい時は長居する。

明日も知人と会う。
楽しみが尽きない日々。

「私のために時間を作ってくれる人を大切にしたい。できるなら好きでいたい。」
Nakasoneは、そう語る。

この記事を読んでくれている、あなたの「優しさの貯金」も増えますように。
Nakasoneは少しだけ、そう願うのであった。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?