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通り道が正解だったかもしれな2020.03-2020.04

とにかく動かなきゃ。

そう思って車に体を任せ、神奈川から兵庫に向かった。 

車のドリンクホルダーの水が少し生暖かくなったのを覚えてる。

寒さを超えて、世に言う春が訪れて、気温や感情や匂いがその訪れを確かに告げていた。

行き交う人々は 

新社会人か 進学したての学生か

心新たに進む人たちで溢れた

また胸が締め付けられた

比べて、自分を照らし合わせて、焦ってた

それでも、動かなくては

やっとの思いで、兵庫県についた。

まだコロナの前で、

いつも通りの生活

と、言うものを見れた。

正直、民宿ホテルのシステムや、古民家の地域貢献の度合いは立場によって評価の度合いが違うと思う。なので省略。

が、感じたことはそこではなく。

みんなが当事者であったこと

である。

誰かの穴は誰かが埋めて、誰かの成果はほかの誰かの成果でもある、と町民たちが認識し合っていた。

あらゆるプロジェクトや、企画や、関係や社会は

自分と相手という軸から逃れることができない。

しかし、その割合は環境によって異なる。

前回、 高知県で

やりたいことより、出来ること

を学んだ 自分が、ここに来てまた学んだことは

どこにいるか ではなく どこに向かっているか

である。

誰かが楽で、誰かが先頭で、誰かが出来ている

そんな関係性で自分と他人を評価するのではなく

向かう場所はどこで、成し遂げたいことはなにか

そこに向かうために自分はなにをするのか。


兵庫県丹波篠山市では、

町民が、人々に伝えたいこと 街の魅力

町民が 守りたいもの  景観や環境

を理解していた。



それからすぐに、人生の時計がまた進み始めた。

次回は4月の半ばから、


御拝読ありがとうございました😊



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