小説「自殺相談所レスト」終章
自殺相談所レスト 9
登場人物
嶺井リュウ……撃たれたけど弾は貫通してた。
関モモコ……事件以降、一層修行に励むようになった。
依藤シンショウ……あの後、関に殴られた。今は下僕扱い。
久遠……なんでも、超能力の使い過ぎで肉体を失ったとか。
五月女チヨ……夏休みの宿題は完璧だった。
森元は警察に引き渡された。嶺井、関、五月女、依藤の四人は現場から立ち去ったが、その場にいた警察官たちは誰も彼らのことを『覚えていなかった』。一月後、嶺井たちは、燃えてしまった事務所に代わる新たな事務所の開設準備に忙しかった。
カーペットは敷いたから、次はソファだな。
「関、依藤、ソファを入れてくれ。」
嶺井たちは今、応接室の内装に取り掛かっていた。廊下から関と依藤の会話が聞こえる。
「ほら!よとっちゃん、さっさと運んで!」
「いやだってこれ重いし、手伝ってくれよお!」
「だめ、裏切った罰。」
参ったな、約束の時間が迫ってる。
「関、時間がないから、もっと依藤を急かしてくれ。」
「いや手伝えよ!」
この一か月間、依藤は罰として無給でこき使われている。嶺井の傷はとっくに治っているのだが、関はまだ依藤のことを怒っていた。
「これに懲りて、依藤さんは二度と、裏切らないでしょうね……」
久遠の声だ。嶺井は辺りを見渡したが、久遠の姿はなかった。
「今日は声だけなんですよ、嶺井さん。」
「珍しいな。調子が良くないのか?」
「実はその通りです。私はもう間もなく消えます。」
「そりゃいいことだ……しかしどうして?」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、久遠の声がどっと押し寄せてきた。
「あなたのせいですよ、嶺井さん!あなたの超能力に私の超能力を注いでしまったことで、あなたの中の私という存在を維持できなくなるほどに弱ってしまったのです。今声を届けているのも、最期の力を振り絞ってのこと。少しは申し訳なく思ってくださいね!」
やれやれ、最後まで面倒くさい奴だ。
「すまなかったよ、久遠。それにあの時君が力を貸してくれたから僕は今生きてる。ありがとう。」
久遠は鼻を鳴らした。
「まあ、その件はもう良いとしましょう。私も、次の宿主を探せばいいだけですし。」
「次の宿主?」
「ええ。私は『二度目の死』すら克服した身。実は全ての人間の中に私の種は存在しているのです。」
種……ヤドリギみたいなものか。
「せっかくだ、あなたが関わった人間の中に『発芽』してみましょうかね。」
「なに?」
「あなたが結局殺せなくて記憶を消したあのホームレス、自分が何者かを突き止めようと色々動いているみたいですよ、見ものですね。」
嶺井は、富山タケルを殺すふりをして、記憶を殺すのにとどめていたのだった。
「相変わらず悪趣味だな。」
「他にすることがないんですよ。可哀そうでしょう。」
「まあね。」
確かに彼女は、ある意味とても哀れな存在なのかもしれない。死にたくても死ねないのは、孤独を伴うはずだ。
「では、私はそろそろ行くとしましょう。あなたの魂の輝き、とてもよかったですよ。」
「そうか、じゃあな、久遠。」
さようなら、と聞こえたような気がした。
「誰と話してるの?嶺井ちゃん。」
いつの間にか関が後ろに立っていた。
「いや、ただの独り言さ。」
「ふーん。そういや、時間大丈夫?」
そうだ、忘れるところだった。
「二人とも、依頼人が来るから、奥に行ってて。」
すでに、廊下を歩いて来る足音が聞こえていた。嶺井は急いでテーブルやソファの位置を確認した。
「こんにちは!リュウさん!」
五月女チヨが、開け放したドアの所に立っていた。
「こんにちは、チヨちゃん。君が新しい『レスト』のお客さん第一号だ。」
「やった!」
二人はかつてのように、テーブルを挟んで座った。
最初に口を開くのだと、チヨは心に決めていた。
「リュウさん……私、まず謝りたいんです……先月のあの時、私が人質になっちゃったせいで、リュウさんに余計な負担をかけてしまって……」
モモコちゃん一人だったら、さっさと逃げられたんだよね、きっと……
「それに、そもそも私が捕まったのは、リュウさんから来てたメールを無視してレストに来ちゃったからなんです……」
あの日の朝届いていた嶺井からのメールは、事務所にしばらく来ないようにという忠告だったことを、チヨは事件の後に知った。
「本当に、すみませんでした……」
チヨは頭を下げた。こんなにしっかりと謝ったのは人生で初めてかもしれない。
「謝るのは僕の方だよ、チヨちゃん。」
「え?」
チヨは思わず顔を上げていた。嶺井も、頭を下げていた。
「僕の個人的な問題のせいで、無関係な君に怖い思いをさせた。本当にごめん。」
「いや、そんな……」
「なんて埋め合わせをしたらいいか……もし、君があの時の体験がトラウマになってるなら、僕の力で、記憶を消すことも出来るよ。もちろん無料だ。」
「待ってください!」
チヨは大声を出していた。
「私、リュウさんとの思い出は一切消したくないです!あの事件も、私にとっては大切な記憶なんです!」
嶺井は驚いた顔をした。
「確かに怖い思いをしました。でも、そのおかげで気づいたんです。私は実は死にたく無かったってこと。そして、死ぬことは決して惨めなことなんかじゃなくて、本当に辛いのは、一人ぼっちになることなんだって。」
嶺井は静かに聞いている。
「飛び降りようとしてた私には、話を聞いてくれる人がいなかったんです。モモコちゃんは一人で虐待されてました。森元さんは、アカネさんが全てだったんですよね……みんな、本当に解決するべきなのは『孤独』だったんだなって思うんです……リュウさんはそれがわかってるから、どんな依頼人にも親身になって接するんですよね?」
嶺井は微笑み、頷いた。
「今の私の心には、リュウさんがいます。それで充分なんです。もう死にたいなんてちっとも思わないし、トラウマもありません。」
「強くなったね、チヨちゃん。」
嶺井はとても、嬉しそうだった。
それからの時間は、チヨの学校での様子などを話した。チヨがいじめっ子の栗島をボコボコに殴り倒した話をすると、さすがの嶺井も心配した。
「それ、大問題に、」
「なってますよ、はい。以前リュウさんから紹介された、椿先生のアイデアなんです。問題を起こせば、大人たちは関わらざるを得ないって。」
「椿先生、えげつないな……」
「でも、栗島さんはクラスでも怖がられてたから、私の味方もできたんですよ。あの芝山くんにも悪かったって謝って貰えたし。」
楽しい時間ほどあっという間に過ぎるというが、今日ほどそれを感じたことは無い。気づいた時には、約束の一時間が過ぎていた。
「もう、こんな時間ですね……」
「そうだね、今日は終わりにしよう。」
嶺井は立ち上がった。
「いえ、リュウさん、『今日は』じゃなくて、『今日で』終わりです。」
チヨも立ち上がり、嶺井の目を見た。驚いたような色は見えなかった。
やっぱり、勘づいてたのかな……
「そうか。寂しくなるね。」
「もし、万が一、死にたくなるような孤独に私が追い込まれたら、また来ますね。」
いたずらっぽく言うと、嶺井は必ず笑みを返してくれる。そんな彼のことが、
「好きでした。リュウさん。」
今度はさすがに、嶺井は戸惑った顔をした。
「それと、これが最後のワガママです。」
チヨは思いっきり、嶺井の胸に飛び込み、抱きついた。暖かい。
嶺井が手を上げたので、抱きしめられる前に、チヨは離れた。
「もう付きまとわないので、安心してくださーい!!!」
きっと奥の事務室にいるであろう、関にも聞こえる声で叫んだ。
嶺井は今までで一番優しい顔で、言った。
「君の幸運を祈ってるよ。会えてよかった。」
「ありがとうございました……さよなら。」
「ああ、さよなら。」
チヨは出口に向かった。ドアは自分で開けた。そして、振り返ることなく、自殺相談所レストを後にした。
廊下を歩く。
ビルのエスカレーターに乗る。
建物の外に出て、少し傾きかけた陽を浴びる。
夏、終わったんだな……
チヨは、やはり滲み出てきてしまった涙を拭うと、駅へと歩き出した。
完