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元不登校のお母さんカウンセラーの高橋亜由子さんにインタビュー


こんにちは。早野です。

今日もお読みいただきありがとうございます。


今日は元不登校で、今はカウンセラーとしてご活躍の

髙橋亜由子 さんに当時のことをお伺いしました。

髙橋さんは自己対話カウンセラーで私の先生でもあります。

私自身、コンディションの維持が難しかったため、

髙橋さんに何度もお世話になりました(笑)


また、私は早野Aと早野Bが争いをしていることが長年の悩みでした。

早野Aは新しいことにチャレンジしたい。

冒険的で、楽しいことが好きな人。

爆発的なエネルギーが高く、成果は上げるが飽きっぽい。

早野Bは保守的で安心を求める人。

「銀行員になれば安定しているし安心なのに…」というタイプ。

小さいことでくよくよする。


髙橋さんのカウンセリングで、この2人が和解することができました。

ついに自己統一を成し遂げることができたわけです。


さて、髙橋さんは幼稚園から行き渋りで

小学校でも中学校でも不登校。

高校は留年。

私やあなたのお子さんよりもたぶんひどい(笑)


その後、大学進学、就職、そして結婚・出産を経て

現在はカウンセラーとして、講座や個別セッションをされています。


不登校から現在のご活躍に、どうつながっているのか??

そのコツが伝わるといいなと思いインタビューしてみました。



★いつも怒鳴っているお母さんだった


早野:先生、いつもお世話になってます。

早速ですが、現在のお仕事の紹介をお願いします。


髙橋:個人向け講座「本音で生きて愛されるセルフケア講座」の開催と

カウンセリング、コーチングセッションをしてます。

主にお仕事を持つ子育てママさんが多いです。


私自身、二児の母ですが

1人目の時からキャパオーバーになりがちなのが悩みでした。

仕事をしながら、「家族のため、子どものため」と

家事も育児もこなそうと頑張る。


本当は上手く周囲を頼れたらいいのですが

それが出来なくて、抱え込んで疲弊する。


そんな悩みを抱えていました。


早野:そうなんですか。意外ですね。


髙橋:いろいろ抱え込んで頑張っては限界を迎えて。

以前は身体を壊すか、怒り爆発かの二極でした。

原因不明で40度を超える熱が4日間出たこともあります。


早野:40度ですか。コロナワクチンとかの前の話ですよね(笑)??


髙橋:そうですね。

当時は「このクソがー💢」みたいな感じで怒鳴ってました。

自分が助けを求められなくて苦しかったんです。

それで怒った後に自己嫌悪。


そんな自分が大嫌いで、心身ともに疲れ果てていた。

そんな経験があり、

"つい誰かのために頑張ってしまう人"

の力になりたい想いから、今のお仕事をしています。


早野:そうなんですか。今のお姿からは想像もつきませんね。


髙橋:そんな自分を変えることで、

今は食事作りや子供の送迎、PTA活動などを

夫が担ってくれるようになりました。

協力関係が出来て、だいぶ楽になっています。


★いつから不登校??


早野:不登校だった時期があるとのことですがいつからですか??


髙橋:幼稚園から不登校で行き渋りが激しく、

親に力技で園バスに詰め込まれていました。

幼稚園~小1は毎朝泣きわめいてました。


無理やり小学校まで連れて行かれたのですが、

家から学校まで全ての柱にしがみついて抵抗した記憶があります。


早野:なかなか激しいですね。


髙橋:小2で自宅を逃げ出して、

同じ学区内の祖父母の家に自主的に住むようになりました。

そこから卒業まで行ったり行かなかったり。


早野:学校に行ったら楽しそうで周りが不思議がるタイプですかね??


髙橋:学校に行ったら勉強はできるし、

発表やディスカッションなども積極的にする。

思ったことは理路整然と言うタイプでした。

その頃は自分の考えがありましたね。


でも小5の時にいじめに遭いました。

上履きを隠されたり、不満がつづられた手紙を渡されたり。

一緒に帰る約束をしていたのに、置いて帰られたり。

露骨に走って逃げられたこともありました。


それ以来、自分の意見を言うのが怖くなりました。


早野:それでも完全不登校にはならなかったのですね。


髙橋:休むと登校した時に、「なんで休んでたの?」と聞かれて気まずい。

休めば休むほど気まずくなるので、完全不登校にはならずに

休んだり、遅刻してでも行ったり、を繰り返していました。


★中学で優等生になるもキャパオーバーで不登校に


早野:中学校は私立に行かれたんですよね?


髙橋:いじめや登校渋りがあったからか、

母親に私立の女子校を勧められました。

小6の秋に突然「受験しない?」と。


その頃には自分の意見を言えなくなっていたので

言われるがままに受験しました。


早野:それで中学ではどうだったんですか??


髙橋:中1からはバリバリの優等生になりました。

担任に学級委員長を指名されたんです。


断ることも出来ず、引き受けました。

役割を与えられたので

「見本にならなきゃ。きちんとした人であらねば。」

と頑張りました。


早野:お母さんは喜んでいたんじゃないですか?


髙橋:褒められた記憶はほとんどないですね。

ただ、外部の学力テストで数学の偏差値が

70超えていた時は驚かれました。


早野:そうなんですか。

学校の先生とかお医者さんの家の家系だったりするんですか??


髙橋:ごく普通の家庭です。

父は普通のサラリーマンですが、すごくパワフル。

土日も働き、「仕事が趣味だ」と言う。

後に50代後半で独立したほど。


母は寿退社して以来、専業主婦。

パートにも出たことない。


私は4人兄弟(姉2人と弟)の三女。

男児が望まれる中に生まれてきた3人目の女児だったからか

注目されない子でした。

1歳4か月下の弟に両親の愛情は注がれていましたね。



早野:そうなんですね。その後はどんな感じだったんですか??


髙橋:中2で先生からの期待がさらに増して

学級委員長に加えて学年委員長も。


早野:学年委員長ですか!!


髙橋:更には学年のいじめられっ子が集められたクラスでした。

その上、イジメによる公立からの転校生まで。


頑張るにも限界。キャパオーバーを迎えました。

そして中2の秋に転校生の子と一緒に学校に行かなくなりました。


早野:それは先生もびっくりでしょうね(笑)

行かない時はどんな過ごし方をされていたんですか??


髙橋:毎日その子と池袋で遊んでました。

優等生から一転、不良化しましたね(笑)

中3~高1はあまり家にも寄りつかなくて、

友達や彼氏と遊び歩いて、着替えや眠りにだけ帰るような生活でした。

中学は卒業式にも行きませんでしたし、

自傷行為があった時期もありましたね。


早野:おおー、優等生から不良へ。僕も大宮でタバコを吸ってました(笑)

友達に親の声色で学校を休むと電話してもらってました。


*不登校の子が家にこもる割合が激的に増えたのはこの10年ほどと言われている。

スマホやオンラインゲームが普及する前は家での娯楽は限界があった。



★高校時代に意識が変わる


早野:高校はどうだったんですか??


髙橋:定時制で昼間はバイト、夜に学校。

その高校に行ったのも母に勧められて。

社会に出る勇気はなかったし、『とりあえず』で高校に行きました。


早野:また真面目になられたんですか??


髙橋:いえ。バイトするも長続きしない。

ろくに家に帰らずに一晩中遊びまわっていたので

朝寝坊して気まずくなって無断で辞めたり。

でも次のバイトもやる。


昼間バイトすると、周りはフリーターが多いんですよね。

バイト上がりにご飯に誘われて流されていたら、高1で留年。

定時は4年制なので5年かけて卒業しました。


早野:おおー留年ですか!!


髙橋:はい。1年生の終わりに退学か留年か悩んだけど、

「高校くらいは出ておきたい」と思いました。

それで「留年にならない程度には行こう」と腹が決まりました。


それまで親の言葉に流されて生きていたところから、

そこは自分で決断した。

そしたら年々出席日数が増えました。

自分で決めて、習慣化して意外と通えましたね。


早野:僕は留年が嫌なので大検(大学合格資格検定)でした。よく5年も行けましたね。

僕なら退屈すぎて刑務所のほうがマシですね。


髙橋:進学を目指すような学校ではないからか

教室では何をしていても大丈夫だったんです。

寝てても漫画読んでてもOK。居心地は良かったですね。


バイトも長続きするようになりました。

松屋のバイトは大遅刻したこともありましたが、

店長からの信頼を感じられていたので2年以上続きました。


早野:その後は順調に大学へでしょうか??


髙橋:いえいえ、周りが卒業後のことを考えているのを目の当たりにして焦りました。

その頃は心理に興味があったんです。


でも「心理を学んだ将来、どんな仕事に繋がる?」と考えた時に

カウンセラーとして人の悩みを聞く=自分が病む未来しか見えず却下。


工業高校だったので工業大学への推薦が取れた。

経営工学系の学部に行きました。理系大の中では文系寄りで汎用性が高そうだなと。


間違えて違う学科を受けるというアクシデントはありました。

結果的には良かったけど、その時は焦りましたね。


早野:それは焦りますね。大学では流石に順調でしたか??


髙橋:仲良くなった友達と同じゼミに入れて、

比較的ほのぼのと過ごせた4年間でした。


でも小中高大どこへ行っても人間関係のトラブルはありました。

何気なく言ったことが気づかずに人を傷つけていたりして。


自分の気持ちを言うのが怖いというのはありました。

そこは小5以来、ずっと繰り返していたのかもしれません。


★就職して一人立ちへ


早野:就職はどう考えていたのですか??


髙橋:専業主婦の母としては、結婚までの腰かけ感覚。

「アルバイトでもいいわよ」と。


でもそこに疑問を感じました。

大学まで行かせてもらって就職しないって?今の時代に大丈夫?と。


そこで、就活しようと決めました。

リクナビに登録、合同説明会に参加して、コツコツ就活しました。


早野:おおー。就活の時に経歴とか聞かれませんでしたか??


髙橋:聞かれませんでした。留年はしましたが、空白期間はないのであまり気にならなかったのでは?


早野:そうなんですね(そんなわけあるかーいと思いながら)。

就職してからどうでしたか??


髙橋:就職1年目で結婚しました。

終電帰り&翌朝7:00出発でSEの仕事を覚えながら、

結婚式や新居の準備などを進める大変な日々でした。


早野:それは大変そうですね。


髙橋:そうですね。

結婚さえすればどうにかなるかと思いましたが、

私自身に抱え込み癖があったので助けを求められず。


仕事も大変。職場も遠い。でも夕飯も作らなきゃで、疲弊していく一方。

でも元夫は「自分のほうが家事をしている」と発言する人。

あっという間に関係はこじれました。


早野:それは大変でしたね。


髙橋:3年半でどっちも限界を迎えて転職と離婚。

経理、事務などの管理部門へ。そこから13年続けています。


現夫と結婚・出産してから本格的に心理学を学び始めました。


高校時代には自分の生きにくさを感じていた。

それは母親との関係から来ているのではないかと。

カウンセリングを受けたい気持ちはずっとありましたが

ハードルを感じて動けなかった。


早野:お子さんが生まれて、心境の変化などがあったんですか??


髙橋:生後すぐの娘に嫉妬したんです。


「私は仕事も家事もして、貢献することで必死に居場所を作っているのに

何もせずに愛される娘がずるい」と。

そんなことを思った自分にぞっとしました。


「こんな自分の子育てでは子供を歪ませるだろう」と恐怖でした。

そこで親の在り方を学びました。


早野:どんな学びをされたんですか??


髙橋:最初は本。本では埒が明かないと思った後は

親向けの講座にいろいろと出ました。

『子供が伸びる魔法の言葉がけ』とか、『自立できる子育て法』とか。

色々学ぶ中で、子供をどうにかするよりも

自分自身を扱うことが本質だと気づきました。



★お母さんは変われる


早野:髙橋さんご自身が変わることで、ご自身やご家族にどんな影響がありましたか?


髙橋:大きく変わったのは、自己肯定感が高まったことでしょうか。

大嫌いだった自分のことが好きになり、

「私は愛されている」と感じられるようになりました。


すると、家族との関係も変わりました。

自分のダメなとこばかり目についていた頃は

家族にも同じように、ダメなとこばかり目についていました。


それが自分自身に許容が出来たら、

家族や周りにも寛容になりました。


負のループから抜け出して、

プラスのループを回せるようになったのが大きな違いですね。

早野:講座やセッションを提供する中で、受講された方はどのように変化されましたか?


髙橋:受講生さんからは

「”生きるって楽しい”と感じられるようになりました」

「自分の本音を言っても大事にされることを実感しています」

「自分を大切にするようになったら、家族も生き生きと輝くようになりました」

と喜びの声を頂いています。



早野:最後に親御さんやお子さんにメッセージをお願いします。


髙橋:「このまま将来を迎えたら・・・」と考えると、

親御さんもお子さんも色々な不安が湧くのではないかと思います。

私自身、将来に希望を持てませんでした。


「何をやってもどうせ上手くいかない。

それで傷つくくらいなら、何もしない方がマシ」

そう思ったことが何度となくありました。


頭で色々なことを考えるけれど、

大切なのは頭で考えるよりも

『自分の本音を感じる』こと。


不安や絶望、葛藤など、どんな気持ちがあってもいい。

その気持ちがあることを認められると、心が軽くなって

エネルギーが湧いてきます。


まず、あなたはどんなことを感じているのでしょうか?

そこに耳を澄ませてみて下さいね。



早野:どんな自分も受容するという感じですね。

本日はありがとうございました。


★編集後記


今回印象に残ったのは髙橋さんは

『どんな時でもご自身のことを見捨てていない』ということです。


そして不登校の子はどんなにひどい状態に見えても

『ご自身の人生を投げてはいない』ことが多いです。


目先は投げていても長期的には投げていないのです。

それは限りなく100%に近いのではないかと思います。


表面的な言動に騙されずに、その奥底を見てあげることが

不登校改善のコツではないかと私は思います。


すると、「良くなりたい」という奥底は

子供も親も共通しているわけですから、

不登校が改善するのは当たり前なわけです。


そして障害になっているものを見つけて

取り除く「だけ」の話。


そういう意味では、髙橋さんのお母様は

見る目があったのではないかと思います。


また、高橋さんも早野も当時の問題行動には

「自分は愛されてない」という想いが背景にありました。


私の場合は勉強や運動ができても親が褒めてくれない。

高校中退から早稲田に合格するというかなりのギャップを作ったのに褒めてくれない(笑)


それである時勇気を出して

「ぶっちゃけオレのこと嫌いなの??」と母に聞いてみました。


そしたら「弟達の手前あまり褒めるわけにもいかない」と。

私は「なるほど」と親の立場に立つと納得。

世界の見え方が変わりました。


私(長男)も気を遣えれば良かったと弟たちのことで後悔。

親もその辺りの戦略というかふるまい方のスキルがあれば良かったんだなと。


私の親も本読むとか、相談すれば良かったのにと思いますが

当時はそういう時代でもなかった。

そんな想いもあり、不登校のご家庭がうまく回ることが私はとても嬉しいのです。


最後に、髙橋さんに興味のある方は高橋さんのフェイスブックをご覧ください。

感想などメッセージでお送り頂けたらと思います。



ではまたお会いいたしましょう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!!


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