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満月を連れて歩く男


夢の中で私は男子学生で、学ランを着て何かの文庫本を読みながらバス停に立っていた。
辺りは一面真っ暗闇で、中高生の下校時間にしては夜が更け過ぎている。
そんな世界の中でバス停と私だけが舞台上の書き割りのようにぽつんと存在し、仄明るい輪郭を纏っていた。

突然、背後から誰かが話しかけてくる。

「お前、満月を連れて歩く男を知っているか?」

姿は見えず声しか聞こえなかったが、その口ぶりからしてどうやら私の同級生であるらしかった。

「何だい急に。そいつは一体誰なんだ。」
「隣のクラスのAという奴だ。何でもそいつに出くわすと世にも不思議な話を聞かせてくれるらしい。」
「ふうん、それは是非出会ってみたいものだね。」

興奮気味に早口で捲し立てる同級生に対し私の反応は冷めたものだった。

「もし出会ったらすぐ僕に報告してくれよ。」

そう言い残して同級生は闇に溶けるように姿(は見えないので気配)を消した。

その次の瞬間だった。
私が立っている場所から見て斜向かいから誰かが近付いてくる。
私と同じ学ランを身に纏っているのは確認できたものの、顔だけは靄がかかったようにぼやけていて確認することができない。
しかしそれよりも私の気を引いたのは、彼の背後から付いてくる物体だった。

白く淡い光を放つ球体。
すぐにそれが満月だと分かった。
満月は従順なペットのように、或いは控え目な伴侶のように絶妙な距離を保って彼の後ろに付いていた。
当然のことながら脚らしきものはなく、地面から少し浮遊した状態で移動しているようだった。

「君か、Aというのは。」

気付くと私の方から声をかけていた。

「そうだよ。噂というのはすぐに広まるものだね。」
「世にも不思議な話を聞かせてくれるというのは本当かい。」

同級生のことを冷めた目で見ていたわりに、いざ本物を目の前にした私は食い気味に彼に質問した。

「別に何も不思議なことはないさ。」

彼は笑っていった後でぽつりとこう付け加えた。

「ただの悲しい話だよ。」

その瞬間彼の顔が少し見えた気がした。
そこで私の目は覚めて、結局彼の話は聞けず終いだった。


どうしてこんな夢を見たのだろうかと思ったら、昨夜は満月だった。
もし満月の夜にまた彼に出会ったら、その時に話を聞かせてもらおうと思う。



#エッセイ
#コラム
#散文

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