水瑛

気になっていることをひたすら掘り下げたり、好きな物や事について虚実織り交ぜつらつら書い…

水瑛

気になっていることをひたすら掘り下げたり、好きな物や事について虚実織り交ぜつらつら書いてます。 ラジオと映画と80年代がすき

最近の記事

歯抜けども悲しみの愛を見せろ

今週は自分にとって少しだけ悲しいことがあった。 少しだけとはいえ、寝ても覚めても悲しみの種は消えず、気を抜けばみるみるうちにモンスターフラワーのようにに育ち、パクリと呑み込まれてしまいそうだった。 こういう時、私は決まって自分の扱いが投げやりになる。 投げやりになった勢いで悲しみがどこかへ遠く飛んでいけばいいのに、と思いながら。 実際には飛んでいくどころか、ずしりずしりと重みを増して心にへばりつくばかりなのに。 しかし今回は時を同じくして、歯を2本抜く予定が入っていた。

    • 大嫌い大嫌い大嫌い大好き人類

      先日好きな芸人さんのラジオを聴きながら作業していたのだが、埼玉県川口市の話題が出たところで「クルド人が大暴れしてるとこな」と言っていてかなりショックを受けてしまい、それ以上聴くことをやめた。 大暴れしているのはレイシストであって、多くのクルド人の人々はそこで暮らしていただけ。 そもそも特定の民族性を理由に攻撃することはれっきとした差別だ。 もしクルド人のファンの方がその発言を聴いたらどんなに悲しいだろうか。 件の芸人さんはレイシストではないのだろうけど、そういう人の口から

      • 母とア○ウェイと私

        遥かな尾瀬よりも遠い空よりも、夏が来れば思い出す記憶がある。 私の人生の中で5本の指に入ると言ってもいい、トラウマとも言える記憶。 事の発端は20年ほど前に遡る。 かねてより時々遊んでいた幼馴染のY君の家に母が度々出入りするようになった。 今までもそれなりにご近所付き合いはしていたけど、このところやたら多いなと思っていると、「今度N山さん(Y君の苗字)のお宅で料理教室があるからすーちゃんも一緒に行こう」と母に誘われた。 当日N山さんの家に行くと、キッチンではN山さんを母含

        • お前朝鮮人ごらくに住んでるんだってな

          私は千葉県出身なのだが、千葉の中でも川を渡ればすぐ東京という場所に生まれたため、正直なところ千葉県に対する帰属意識は薄い。 「千葉県民は皆踊れる」と言われている菜の花体操も一ミリも踊れない。 かと言って都民意識が強いかと言われればそうでもない。23区内出身の友人には「なめんなよ」と言われる。そっちこそなめんなよ。 在日韓国人という、韓国人とも日本人とも言えないどっちつかずな存在に生まれた私は、生まれ育った場所に対してもどっちつかずな印象を持っていた。 とはいえ住みにくい場

        歯抜けども悲しみの愛を見せろ

          狂えないまま生きていけ

          今年の6月は個人的にかなりしんどい。 ソファ及びベッドの上でゾル化している時間がとても多い。 5月に自分比でかなり活動的だった反動だろうか。或いは5月は躁期だっただけで、今は鬱期に入っただけなのか。 全ては脳のバグに操られているだけでそこに私の自由意志はないのかよ、と思うとそれも悔しい。 あと奥歯も痛い。こんな雨の日に奥歯が痛いなんて、とRCサクセションの曲のタイトルみたいなことを頭の中で呟く。 人によると思うけれど、私にとって鬱が迫りくるサインは「手」に現れる。 心が

          狂えないまま生きていけ

          冷蔵庫の奥のレバーペースト

          冷蔵庫の扉を開くと、納豆やらキムチやらが乱雑に置かれた庫内上段の一番左端にレバーペーストの瓶が鎮座している。 いつからそこにあるのだろう。もう2年近くは経っている気がする。 ワイヤレスイヤホンのケースほどの大きさのその瓶は、白の陶磁器に青色の模様が描かれている。小さく可憐で、冷蔵庫に1つあったところでそこまで面積を圧迫しないのだが、それが長年放置している免罪符になっているのも事実である。 確かとある方から頂いたものだったが、申し訳ないことにあまり私の口には合わず、かと言って

          冷蔵庫の奥のレバーペースト

          第15期川崎市外国人市民代表者の一員になりました

          この度、第15期川崎市外国人市民代表者会議の一員に選出していただきました。 縁あって川崎市に引っ越してきた2019年から約5年の間、世界そして日本では様々なことが起こりました。 2022年初めには、世界で起こる悲劇に対してあまりにも無力な自分に耐えきれずパニック発作を発症したりと、自分の弱さを痛感する年月でもありました。 「それでも自分にできることはないのか」と模索していた時に届いたのが、この外国人市民代表者会議の募集の知らせでした。 令和6年4月現在、川崎市の人口は1,

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          振り返ったり滑ったり踊ったり進んだり

          2024年になってもう20日も経った。 今年は年始から胸が痛くなるニュースが多いけれど、これらをセンセーショナルに取り上げて「令和くんやば過ぎ」「不吉」みたいな話に持っていくのは、今あらゆる現場で必死に生きていたり、サポートにあたっている人に失礼な気がするので私はあまり好きじゃない。 今できることはわずかでも自分にできる範囲の支援や意思表明を続けること、生活を続けること、祈ること。 それだけだと思っている。 私はと言えば、このところふと時計を見ると気づけば24時という日々を

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          「ヘレディタリー/継承」と「家族は呪い」という考え方について

          ※ネタバレを含んでいます。 いつだったか仲の良かった(過去形)友達に、つい気を許して「家族って呪いだと思う」とこぼしたら、「それは違う!駄目だよそんなこと言っちゃ」と言われたことがある。 その時、「ああこの子にとっては呪いじゃないんだ、こんなふうに思うのは正しくないんだ」と思ったとともに心をそっと閉じたけれど、対してこの映画は「家族は呪いです!!!皆さん家族は呪いですからね!!!」と何度でもぶん殴ってくれる。 だからもうとにかくどこまでも最悪な展開でしかないんだけど、そ

          「ヘレディタリー/継承」と「家族は呪い」という考え方について

          在日コリアン、「福田村事件」を観る

          2023.8.16 渋谷ユーロスペースで「福田村事件」を観た。 1923年9月、関東大震災発生後の日本では、当時「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が婦女を暴行した」などと根拠ない流言蜚語が流れた。 この映画はそんな混乱の中、同年9月6日に千葉県のとある村で起きた「朝鮮人と間違えられた結果、日本人の行商団が村民に虐殺された実話」を基にしている。 . . . ※以後ネタバレあり . . . 在日コリアン三世の自分はこの映画を観ることが怖くてずっと躊躇っていたのだけれど、意を決し

          在日コリアン、「福田村事件」を観る

          悩ましい精神はそこそこ健全な肉体にこそ宿る

          コロナに罹りました。 コロナ禍真っ只中の2020年、2021年、2022年をどうにか罹患せずきたので(あるいは無症状なだけで罹っていたのかもしれないが)、なんとなく自分はかかりにくいんじゃないかとか思い始めた矢先にガッツリ罹患。 思い上がってすみませんでした。 幸い熱は2日程度で微熱にはなったものの、とにかく喉が痛くて痛くて気が狂うかと思った。 ずっと剣山でブスブス刺されているような痛みが丸3日続いて、唾を飲み込む度に枕を殴り、しまいには「どうしてこんな目に…」と天井を見つ

          悩ましい精神はそこそこ健全な肉体にこそ宿る

          自意識千年ローン

          一度やらなくなったことをもう一度始めるのは中々難しい。 さっきまで嬉々として参加していた大縄跳びから一度出てしまったが最後、もう一度入るタイミングを延々と見計らっているみたいに。 これは創作活動、語学学習、料理、運動、人付き合い全てに言えることだと思う。 大体の場合、最良のタイミングなんてものは自分の思い込みで、何事も始めるのに早いに越したことはない。 頭ではそう分かっているのに、なぜかいつも「キリの良いタイミング」なんてものをスタート地点に設定しがちである。 時計を見た

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          うまいことやろうとするな

          最近noteに何かを書こうとする時、まずタイトル部分に「200文字」と入れている。 これには「なにか書きたい/でも書けない」と焦る時、「とりあえず200文字でも書ければ上出来」と自分へのハードルを下げるおまじないのような意味がある。 それに大抵の場合、書き出せば200文字に収まらず長々と綴ってしまう。 一方で、初めはスラスラと流れるように書けていたのに、落語で言うところの枕が終わり「さあ本題に入るぞ」というあたりでピタッと書けなくなることがある。 こうなるとどれだけ続きを書

          うまいことやろうとするな

          映画「after sun/アフターサン」が刺さりすぎたので感想を書いてみる

          一年半ほど前からだろうか。 映画を観たら他の人の感想や考察を見る前に、まずは自分が感じた新鮮な感想を記録するように習慣づけている。 元々は、映画を観たら真っ先に有名映画ブロガー三角締めさんのブログをはじめとする映画感想・評論記事等々を周回してから自分の感想も組み立てていたのだが、ある時ふと「それって人の視点にフリーライドしているだけで、本当の私の感想とは言えないのでは?」と気づいた。 きっと賢い人は初めから気づいているだろうに、恥ずかしながらそんな至極当然のことに20代も

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          駅ビルはつづくよどこまでも

          いつからなのか、私が生まれるずっと前からだったのか分からないけど、駅ビルの店舗ラインナップってどこも同じだなと感じるようになった。 ス◯バ、ド◯ール、カル◯ィ、ブ◯ーブルーエ、プ◯ザ、ブルー◯ルーエ、◯ルーブルーエ… 流行りの雑貨。バズり飯。アデリアレトロ。 アデリアレトロ、ここ最近は本当にどこでも見るのでもはやレトロとは言えないのでは問題。 数ヶ月前、気分転換に少し遠くの駅まで小旅行をした時も、駅ナカの風景は最寄りの一番大きな駅から全く移動していないのかと錯覚するほど同

          駅ビルはつづくよどこまでも

          あまりにも人間

          全てを無にしたい、消したい、捨てたい願望がいつもどこかにある。 今持っているSNSのアカウントもメッセージアプリも全部消したい。 知り合いが一人もいない海辺の街に行って、誰とも深く関わらず必要最低限だけ働いてひっそりと暮らしたい。 でも実際に全てを消そうとするといつも躊躇ってしまう。 中途半端に残してきた軌跡でも僅かばかりの財産のように思えてしまい、手放すのが怖くなって結局やめる。 そもそも都心近くで生まれ育った私は、資本主義的価値観を軽蔑しつつも実際は頭の先から爪の先まで

          あまりにも人間