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狂えないまま生きていけ

今年の6月は個人的にかなりしんどい。
ソファ及びベッドの上でゾル化している時間がとても多い。

5月に自分比でかなり活動的だった反動だろうか。或いは5月は躁期だっただけで、今は鬱期に入っただけなのか。

全ては脳のバグに操られているだけでそこに私の自由意志はないのかよ、と思うとそれも悔しい。
あと奥歯も痛い。こんな雨の日に奥歯が痛いなんて、とRCサクセションの曲のタイトルみたいなことを頭の中で呟く。

人によると思うけれど、私にとって鬱が迫りくるサインは「手」に現れる。
心が重くなるのと連動するように両手がしびれるのだ。
これもきっと人によるのだろう。

あとは、鏡を全部割りたくなる。
理由は自分の情けねーツラを心底拝みたくなくなるから。
本当に家中の鏡割ったら映画「来る」みたいになりそうだな。
皆さんは「来る」 観ましたか?
私は「邪気払いWe are the worldや」という感想を持ちました。

果てが見えない苦しさを更新している時は、「いっそ狂えたら楽なんだけどな」と思う。狂うってことの解像度が決して高いとは言えない状態でこんな風に言うのも、いささか危険な気はしているけれど。

いつも少しの理性が、平常な状態に引き戻そうとする気持ちが苦しみを加速させているのではないかと思ってしまう。

20代の頃に比べれは、自分を縛り付けていた自意識と少しずつ決別しつつある30代の方がいささか楽になったのかな?と思う反面、最新型冷蔵庫で保存してましたか?というくらい鮮度が変わらない苦しみに襲われることも依然としてある。

むしろ20代の頃は「若さゆえの」と枕詞をつけることで有耶無耶にしていたヤバさが、歳を重ねるごとにまじりっけのない純度100のヤバさへと濾過されていく。それでもなお狂いきれないなんて!


そう思いながら今日私は歯医者に行き、歯の痛みの原因を突き止め、スーパーで納豆を買い、帰宅してから安物の冷蔵庫にテトリスのようにきちっとしまった。

納豆が冷蔵庫にないと落ち着かない。ってことは明日も食べようとしているってことで、結局私は生きようとしているのかしら。それとも単なる習慣か。

どっちつかずなまま、狂いきれないまま私はまた明日の朝のために米を炊く。

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