自分にとってのいい塩梅

スーパーで梅の実を見かけるようになった。
季節の旬のものが売られているとうれしくなる。
ゴーヤ、スイカ、丑の日が近いのでウナギ。ウナギ食べたいな。(妊娠中なので自重している…)

おもしろいもので、これまでもきっと、目に入っているはずなのに、なぜか「梅」が目に止まることはなかった。

山盛りになった「梅」
隣には、氷砂糖が置かれている。

いつしか、おばあちゃんが作ってくれた梅ジュースはおいしかったな。
自分の庭で採れた梅を砂糖でつけて、梅シロップを手作りしていた。初夏に飲むと、すーっと爽やかな心地がしたものだ。

どんなふうに作るのか聞いておけばよかったな。

今は、なんでもネットで調べて作ることができるけれど、身近な人に聞いてみて初めてわかることだってある。


梅にちなんで、「いい塩梅」という言葉の話。
とても美しい日本語だなぁと感じる。

この前、観た映画「めがね」でこんなシーンがあった。
ゲストハウスの主人が作った梅干しを食べた感想をぽろりとつぶやくシーン。

「うん、いい塩梅」

にっこりしながら、さらりと一言。

これ以上ない、称讃の言葉。
こんな素敵な日本語があったんだなぁとしみじみと感じながら、映画の続きを追った。


自分にとっての「いい塩梅」を見つけることは、幸せの近道だと思う。

誰かが決めた「正しさ」

世間的な「正論」

それも、情報として取り入れる分にはいいかもしれないが、自分が「いい」と思えることを大切にする方が、自分も周りも幸せでいられる。

ただし、自分が「いい」と思えることだけを頑なに守り続けると、周りと衝突するときもあるので、「いい塩梅」を見つけることが大事になってくる。

とくに、子育てや教育に関しては、
「こうした方がいい」
「こうしたらうまくいく」
「これが正しい」

などの情報がとても多く、真面目な人ほど、全部その通りしないといけないと思い込んで、自分自身が苦しくなってしまうことが多い。

そのとき、立ち止まって考えてみてほしい。

「自分と目の前にいる子にとって、どんな選択がいいのだろう」

ということ。

それが、もし世の中的におかしいとされることだとしても、正しいと思われている方法じゃなかったとしても、

「自分と子どもにとっての正解」

を選ぶ方がよっぽど、自分も子どもも幸せだと思うのだ。

そんなのなかなか見つけられないよ!と、注意を受けるかもしれない。
実際、わたしも先生をしていたときには失敗だらけで何がいいのか答えなんて見つからなかった。けれど、結果はどうであれ、その時、「最善だ!」と思えることを選んでこれたとは思っている。

そうやって、うまくいかないことや失敗を経て、「自分にとってのいい塩梅」がなんとなくつかめてくるのだと思う。

はじめから、最高の塩梅の梅干しができてしまっては、なんの苦労もなくて楽しくないじゃないか。
それと同じで、子育ても、親も子も悩んだり失敗したりしながら、だんだんと「自分にとってのいい塩梅」「親と子にとってのいい塩梅」が見つかるんじゃないかなぁ。

今日はちょっと酸っぱ過ぎたな。
っていう日があったら、次の日はちょっと甘く調整したらいい。

そんなふうに、肩の力を抜いてやっていけたら。

きっと、ちょっと人生がラクに、
そして、ちょっと楽しくなっていくだろう。

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