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「当たり前」と電線と口髭について(エッセイ)

 今朝、ゴミ出しに行こうとすると、頭上の電線に、ムクドリの大群がとまって、ピーチクパーチクと盛り上がっていた。糞に降られないよう、遠回りして歩く。

 しかし電線って、たくさんあるものだなぁ。

 風景に溶け込んで当たり前のようになっている電線。東京では電線が地中化されているところが一部ある。

 その光景を初めて見た時、「ん?何かスッキリしている。心も落ち着く。何故なのか。。あ!電線が無いんだ!」と思ったのを記憶している。

 余談だが、今まで口髭を生やしていた人が、ある日口髭を剃って登場した時の、何だかわからないけどスッキリしているな・・・?という感覚に似ている。

東御市の海野宿。電線無い!

 ロンドン、パリなどでは電線が100%地中化されているらしい。日本では当たり前の光景として溶け込んでいる電線も、もし無ければこの風景はどのように見えるのか、と想像が膨らむ。

 当たり前、と言えば、ここ東御市では、燃えるゴミと生ゴミは、別のゴミとして分別せねばならない。

 引っ越し前の地では、燃えるゴミと生ゴミは同じ袋で出して良く、それが当たり前と思っていたので、こちらに来てゴミの分別方法を見たときに、驚いてしまった。

 が、しかし、今朝ゴミを出す時に、生ゴミを燃えるゴミとしてティッシュなどと一緒に出すなんて、なんか気持ち悪い!と思った。こちらに引っ越して2年未満である。

 「当たり前」「常識」などといった考え方が、いかに裏付けのない弱いものなのか。などといったことを考えた、濃霧の朝であった。

電線が入らないように撮影(春の写真)

  

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