アルトの餡子はいかが?

アルト一筋、39年。
いや最近は合唱なんてものはてんで関わっていないけれど、小学校の頃から音楽のパートは必ずアルトに割り振られた。

むかしから野太い声をしていた。今だって高い声で歌うことなんぞできやしません。
今でもカラオケで女性ヴォーカルの曲を歌うときには3つ4つ下げて歌っている。そして音が取れずにふわふわと音を探りつつ迷った歌い方をしたりね。

ところで学生時代のわたしは何かにつけて不満が多いヒトだった。非常に子ども子どもしていた。
(今もそうだけど、それ以上に)

音楽の授業後にも先生にぶうぶうこぼしていた。
ソプラノはずるい。おいしいとこばっかり歌ってずるい。アルトは地味でつまんない。アルトは音が釣られる。でも高音がでないからソプラノ転向もできない。ぶうぶう。

先生は苦笑いして答えてくれた。きっとアルトからのこういったクレームはよくあることなのかもしれない。

「アルトはね、おまんじゅうで言ったらあんこなのよ。合唱でのアルトの立ち位置はすごおおく大切なの。ソプラノなんておまんじゅうでいったら皮よ、皮。大事なのはあんこなんだからね」

ね、ともう一度言って話はおしまいになった。
「アルトはおまんじゅうでいったらあんこ」
そうか、おまんじゅうにはあんこがなきゃすかすかだもんね。妙に納得した。

卒業式で歌う「巣立ちの歌」のアルトは特に難しくて、アルト部隊はみんなソプラノに釣られないように片耳を塞いで歌った。
卒業で感極まりながらもとか、先生との別れの惜しみつつとかじゃなく、アルトをまっとうすることでわたしは精一杯だった。

「歌えた?」
「ぜんぜん」
 
式が終わった後にアルト仲間とそんな会話をして、わたしたちはまだ大人になれない階段の踊り場で「写ルンです」のシャッターをきっていたんだ。


※このお話は事実にフィクションを交えて作っています。

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