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死んだことに気付いて。

あの星。

輝く星。

一番に光る星。

あの星は

もうないかもしれない。

もう存在しないかもしれない。

何億光年

そういう星の話はよく分からないけれど

何億光年

昔の光だから

あの星はもう

存在しないかもしれないんだよって

小3の頃

学校で浮いていた理科のおじいちゃん先生が

教えてくれた気がする。

星座早見盤。

「カシオペア座を探してきなさい」なんて宿題。

興味なかったね。つまんない宿題に付き合ってくれたお母さん。

お母さんはちょっとだけ楽しそうだった。だけど気のせいかもしれない。


もう存在しないかもしれない星の光を見ていた。

でもあの星はまだ見える。

死んだのはお母さんの方で

お母さんは星になったようで

でも存在しないのは星かもしれなくて

ちがう、存在しないのはお母さんで

消えたのはお母さんで

僕はあのおじいちゃん先生のせいで

「あの星はもう存在しないかもしれない」って言葉のせいで

見えてるもの

見えないもの

何が正しくて何が正しくなくて

存在してて 存在してなくて

どれを信じたらいいのか分からなくなってしまった。

星座早見盤は、本当に正しいですか。

消えた星のこと、増えた星のこと、お母さんのこと、ちゃんと描いてくれましたか。

お母さんはどれですか。

これだよって、指さして。

だけど

夜空に指をつっこんだら

あらゆる星が

地球にパラパラってこぼれちゃいそうだから

一番強く光ってて。

お母さんを光らせて。

見つけて。



<コメント>

やっぱり自分でも何が言いたいのか分からない。言いたいことなんてない。

何かが憑依して、勝手に文章を書いた。

星のことを書こうとしたら、小2か小3の頃の理科の宿題を思い出した。

「~座を観察して、形をスケッチしよう」みたいな。

私は理科が嫌いで、可愛くない子どもだったので、「そんなの教科書に書いてるんだから、教科書をうつせばいいや」とか考えていたんだけど、なんでか知らないけど、近所の原っぱに母と星を見に行ったことを覚えている。覚えているというか、思い出した。15年前のこと、ずっと思い出したことはなかったけれど、なぜだか今思い出した。

星座早見盤ってあったよね。懐かしい。多分、あの時しか使ってない。

星の神話や科学的な話って、どちらもわくわくするね。

だから、「死んだら星になる」っていうファンタジーと

「あの星はもうないかもしれない」っていう科学をごちゃまぜにしてみた。

そして、夜空に指をつっこんだら星がパラパラ落ちるっていう、さらなるこじつけファンタジーを混ぜてみた。

科学的なこととファンタジーを組み合わせると、詩人っぽいね。

星のことはよく分からない。おわり。






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