今後のことをゆっくりと考えるのは贅沢なのか
リトリート・ゆっくり内省する的なプログラムを企画したいなぁと思いながらそのようなサービスについて調べていると、思うことがある。
料金が高い。
1泊あたり2〜3万円、合計20万円近くかかるものが多いように見える。
提供されるのは場所・時間・ゆるやかな繋がりだろう。
明確な技術を学ぶわけではない。
となると、やはり高く感じる。
もちろん体験価値に対してお金を払うので、料金設定はいくらであっても満足度は高められると思うけど、
現実的に見た時に誰もが気軽にポンと出せるような金額ではない。
ゆっくりと時間を取って、ゆっくりと今後のことを考える。
これってとても贅沢なことなのか。
今後のことについてぼんやりと考えること自体が贅沢なことなんだろうな、と思わせられる。
たしかに忙しい世の中でゆっくり時間を取って、ゆっくりと今後のことを考えるのは贅沢なのかもしれない。
でも贅沢だからといって、富裕層にしか得られないものなのは悲しい。
どんな人だって、たまにはゆっくりと時間を取って今後のことを考えてもいいはずだよね。
いいものだけど料金が高すぎるなと思った時。作りたい側になるとして、どう振る舞いたいんだろう?いい形って何なんだろう。
「貧乏暇なし」という言葉があるけど、貧乏な暇人がいてもいいじゃんね、それが健全な気がする。
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