寝る気がわかないので頭の中を垂れ流す

ブログを作った。けんけんさんやゆまちゃんみたいに稼ぐ目的ではなさそう(もしくは直近で稼ごうとはしていなさそう)な雰囲気がすごくいいなと思って。ブログってそもそもそういうものだよね。アフィリエイトでもないブログ。いいなぁ。未来の友達作りと日常の記録として使えたらいいなぁ。

noteとの違いは、持ち家であること。noteは手軽で好きだけど、どうしても賃貸だから。やたら持ち家にこだわる人、いるよね。あれと同じで合理性などを排除しても、とりあえず持ち家がほしいという本能的欲求があるんだよ。

過去のブログはね、ドメインが切れてなくなった。復活できるんだろうけど復活させるメリットもあまりないから、新しく作った。それでいい。

畑は面白い。畑はわたしをせかしてくる。急かしてくるのを無視すると、草がたくさん生えたり、食べるには不味い状態になる。でもそれも含めて自然だから良くない?って思ってる。畑に急かされるのは別に嫌じゃないし、嫌なときは虫をする。人に急かされるのは嫌い。人から「畑に●●するのはだめだねー」とか言われても全然聞く気にならない。仲良い人や専門の人なら聞くけど、よく分からない人の意見は聞く気にならない。

自然の声は聞く気になるけど、人間の声は聞く気にならないってことが起こるよね。色んな意見の人がいてキリがないからね。

畑をやるのは楽しいっちゃ楽しいけど、生きる上での義務みたいな気持ちもある。生きるには食べなきゃいけない。食べるには食材が必要。食材は作りたい。むしろ作らずに食べるというのは不自然だなと思う。だって毎日何かしら食べてるわけでしょ。なのに作らない。それって生きてると言えるのか疑問に思えてくる。自給自足は難易度高いし大変だけど、当たり前のように自給自足したいと思う。願望として。だって生きてるから、だったら作り出さなきゃおかしいじゃん。

もちろん分業制の世の中だから分業でもいいんだよ。でも、食べるものを100%外注するのは生きてるって言えるんだろうか。死んでるとは言わないけど、生きてるか怪しいラインじゃないかと思ってしまう。少なくとも胸を張って、天に向かって「生きてます」とは言えない気がしてならない。人の自由なのでわたし個人の考えだけど。

ということで、娯楽であり義務でもあり、自給自足を目指す。生きてるし生きたいからね。

とか考えてると、生活と切り離された仕事らしい仕事に取り組むのがいつまで続けられるのか謎に思えてくる。とはいえマーケティングっぽい仕事は、それはそれで好きだし、自然との矛盾やかけ離れ具合を含めても全然好きの範囲なのだけども。でも徐々に仕事も生活寄りになったらいいなとは思う。

生活寄りの仕事っていうのは、たとえば漬物加工の人とかね。いぶりがっこ漬ける人とかね。でもそういうのって、大変なのにお金にならない。と考えると、お金のもらえるジャンルの仕事をしながら、好きな時間に生活をやったほうがいいじゃん、とか思う。で、今の状態。マーケティングとかアフィリエイトとかが主な仕事で、あいてる暇な時間に畑したり料理したり寝たり。これは賢いよね、悪くない。でも生活っぽいものを仕事にできたらとおもう。時給は下がらずに。という繰り返しだよ。生活っぽいものを仕事にしながら高単価を求めてるんだよわたしは。そうなると月日の流れは必要。若者がやれるようなことじゃなくて、20年くらいかけて積み上げてようやく価値が出てくると思ってる。だからね生活のことを仕事にするのは急がずに、ゆっくりでいい。いいというか、そうするしかない。だって梅干しを2回しか作ったことない人にブランドを感じないからね。身内に教えるには問題ないけど、それ専門なわけでもないのに梅干しを2回しか作ったことない人に何かを教われるなんて思わないよね。

スペシャリストなら分野によっては若くして極められると思うよ。シンプルなものやフローの決まったものはね、若くしても極められると思うよ。

でも生活っていうのは果てしなくジェネラリストだからね。ジェネラリストとして価値が出てくるにはある程度の時間の経過が必要。だから待ちだね。生活を仕事にせず、生活を生活としてやっていく時期である、まだまだ。

ということでこれからも生活をしていくまでである。

ブログには日常の記録をして、まだ見ぬ友達に出会えたらいいかな〜。

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