いつも現実から遠いものを求めてる
お疲れ気味だった29歳女です。図書館、畑、ぽつんと系古民家での田んぼ作り、短歌作りを経て徐々に回復してきた。
回復に必要なのは「現実からの少しの遠さ」であり、つねにこれを求めているような気もする。
何かやりたいことがあるというよりは、とりあえずここから遠いもの。必要ではないもの。やらなくてもいいこと。そういうのを一定の割合入れていかないと、脳みそが疲れてくる。
「自由に暮らしたい」とか「自由に生きたい」という言葉を聞くたびに思うのは、「〜からの自由」を求めてるのか、「〜のための自由」を求めてるのか、という問題。
わたしはけっこう「〜からの自由」を求めがちで、言い換えれば「現実以外のどこかへ行きたい(ただし行きたいところは特にない)」「やりたいことをやりたい(ただしやりたいことは特にない)」になりがちだ。
心の置き方の問題だよね、これ。他の人の暮らしが良いものに見えたり、理想を描くのを良しとしたり、そういうのと関係ありそうだよね。
きのうから短歌をいくつか作って投稿したのがとても楽しかった。いいねも6つくらい付いたので、一瞬でも誰かと心が通ったってことだから、嬉しい。
昔から好きな文章の雰囲気は変わりなくて(というか成長機会がなくて)、心の模様を風景で描くようなものが好き。
こんな風に気持ちを景色だけで説明したような雰囲気の文章が好き。わたしもこれがやりたくて短歌を作っている。
占いを仕事にし始めたことにより、占いが現実になってきた。これまでは現実から遠いものとして占いを位置づけてきたけど、とうとう現実に食い込んできた。
先日友達から「占いをやってみて、心境の変化はある?」と聞かれたけど、これが変化だ。海王星的にとらえていたはずの占いが現実になり、水星や土星として占いをやることになった。これが食あたりのように作用して蕁麻疹が出たのかもしれない。そういうことにしておこう。
現実から遠いものとして存在した占いが急に現実として迫ってきたから、周波数がおかしくなって疲れていたんだろう。急にキムタクと同居し始めたような、そんな現実としての迫り具合。キムタクが近くにいるのは嬉しいけど、とはいえ受け取るストレスは半端じゃないぞ、という感じ。
割り切ってやれてると思ってたんだけど、何かを削りながらやってたのかも。だとしてもやめる気はないけれど。気をもらいやすいから気をつけないと。そこが障害になるなんて謎の世界線を生きている。
古民家の庭で作業していたら、前に住んでいた人(もう亡くなっている)も楽しそうに作業しているのが見えた。前から気配は感じていたけど、初めて視覚のようなもので認識した。
視覚のようなものというのは、普段ものを見るときのようにハッキリと、かつ長くは見えないからだ。見えたといってもほとんど光のような感じで、しかも一瞬。写真を撮るときくらいの長さで、そのあとは頭で思い出すしかない感じ。オレンジ系の光だったけど、思い出そうとすると表情が見える。
これを「見える」と言っていいのか分からないし、本当に見える人からしたら見えるうちに入らないかもしれない。それでもたまに、ほとんど光のような見た目で、今は生きていない人の様子を認識したり、知らせを受け取ったりする。
とくに生理がはじまってすぐの時はこういう感覚が冴えているから、受け取りやすい。今日は前の住人の光を受け取れて、嬉しかった。
古民家に通うようになってから約1年、ようやく気を許してもらえたような気がする。まだ前の住人は住んでいる。遺影よりもずいぶん若い見た目だったから、亡くなったあとは肉体に縛られずに一番動きやすいときの年齢で暮らしてきたのかな。旦那が掃除を頑張ってるから、それに感化されて若い状態で姿をあらわしたのかな。お前と同い年だぜ、くらいのノリで。
会話はなにも、生きている人間と直接するだけのものではない。自分との会話も木との会話も今は生きていない人との会話もあるから。現実を現実として切り取りすぎなくていいよね。改めて思った。生きる層はめちゃくちゃたくさんある。生きてない人とも混ざり合っている。ひとつの層のおかしさにやられちゃダメだよ。
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