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書くこと頼りに生きている

改めて「書くこと」「言葉」について考えたい気分。書く仕事が増えてきたからかな。

わたしの社会人デビューはWebライターからだった。デビューといっても、何の能力もツテもない、未経験なんちゃってライターだったけれども。それでも書くことはできた。書くことはすぐにお金になった。

小3の頃から日記を書いていたから、文章への慣れはあった方だと思う。小5からブログを書いていたから、タイピングは早い方だったと思う。ほとんどの恋愛をメールやLINEでやってきたから、テキストコミュニケーションにも馴染みがあったんだと思う。

だんだんとWebライティングらしいWebライティングをあまりやらなくなったけども、最近改めて「書くこと」はわたしに染み付いてくれている味方だと思える。

なぜか?それは喋ることが苦手で、手先が器用なわけでもなく、人付き合いも得意な方ではないわたしにも、ちゃんと与えられたものがあると思えるものだから。わたしにでもできることだから。色々な「できない」「苦手」を排除していった先で、それでもなお残ってくれたものだから。そう、他にできることがあまりないんだ。

そのことを悲観的にはとらえていない。できることが分かりやすくて助かるし、腐れ縁みたいな気持ちで何度も巡りながら大事にもしたくなる。書くこと、書けることを大事にしたくなる。

Webライターというのは敷居が低くて、誰のことも受け入れてくれる寛容な職業の一つだ。受注のライティングをほとんどしていない今のわたしが「書きたい」と思えば、その翌日には仕事を獲得できる自信があるくらいだ。

だけどWebライターだけが「書く仕事」ではないことを、わたしには分かっていてほしい。というのも、もともとは詩人になりたいと思っていたし、今でもいずれは詩やエッセイを書きたいと思うし、文章の形はさまざまだから。

情報をまとめて伝えるのも文章の仕事だし、心に浮かんだ心象を書き綴るのも文章の仕事だし、フィクションの小説を書くのも文章の仕事だし、CMのコピーを考えるのも文章の仕事だし、いかにも商業らしいものから芸術らしいものまで幅広くある、書く仕事。

そもそも「書く」は仕事じゃなくたっていい。日記を書けばいい、自然を見て感じたことを書けばいい、誰にも見られなくたって書けばいい。書くこととお金を絡めなくたっていいし、書く活動は多様なはずだ。

詩人の最果タヒさんの著書「死んでしまう系のぼくらに」のあとがきがすごく好き。うろ覚えだけど好き。

歌がうまく歌えなくて、絵が上手に描けなくて、それでも残されたのが書くこと

情報として意味のない言葉があってもいいはず。「りりらん」とか。

みたいなことが書かれていて、まさにわたしの気持ちだ、と大学生の頃に思わされた。

書くことの世界は広い。業界のことを中途半端に知ると狭くて窮屈に感じるけれど、本当は広い。

Webライターにしても、価値のあるものを文章に整理して伝えることなら情熱を傾けられると思う。「しゃべって説明して」と言われるとあたふたするけど、書いて整理するならぜひやりたい。

自分の意志と書くことが交わるところに自分の社会的な居場所があると思うから、そこを探求していきたい。社会人になって5年目に入ってもなお思える、やっぱりわたしは書きたいんだ!Webに限らず、商業に限らず、これからも文章を摂取していくぞ。

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