大量の思い込みがほどけつつある

ここ2年くらいで「生きてく上での設定」が少しずつ書き換わってきたので、記録しておく。

わたしはtakerであり、プライドが高く、動かない人であり、思想だけの完璧主義者であり、あらゆるものへの許容レベルが低い人だった。

・やりたいって言うだけで満足だった

・学歴にそぐう頭脳労働しかしたくなかった

・人と関わる時は気合いが必要だった

・人と関わる時は自分の見え方や立ち位置ばかり気になっていた

・一対一じゃないと人と関わるのが難しかった

・ないなら自分で作るという発想がなかった

・整備されてないなら勝手にやるという発想がなかった

・静かに続けていれば、いつか誰かが見つけてくれると思ってた

・続かないのは、向いてないことの証拠だと思ってた

・何かやるなら人に頼み込んでどこかのチームに入れてもらわなきゃいけないと思ってた

・なのに「自分にちょうどいい最強の場所」がなくて、ふてくされ気味だった

・努力がイチミリでも無駄になったら最悪だと思ってた

・だから夢を叶えるには、ひとつの無駄もないベストな進み方をしなきゃいけないと信じてた

・つねに良い気分でいなければいけないと思ってた

・完璧になるまでは世に出しちゃいけないと思ってた

・完璧になるまでは人を誘っちゃいけないと思ってた

・体調やメンタルが万全の時しか行動しちゃダメだと思ってた

・少しでもイメージと違ったり粗が見えたりしたら、人や環境から離れなければならないと思ってた

・自分が時間、お金、エネルギー的に何らかの損をすることが許せなかった

でも実際、上記のすべてを無視した世界線で生きても大丈夫だと気付いた。

「この人いいな〜うらやましい」「物事をちゃんと形にしてるな〜」と思う人たちは、上記の設定を持っていないように見え、そこから気付いたことだ。

上記の設定の中で生きてもいいけど、それをわたしは望んでいたか?その延長線上には自分にとっての幸せな暮らしがありそうか?と問いかければ、「なさそう」と答える。

なさそうだけど、最初からそういう設定になってるんだから、自分はそのままいくしかないと思ってた。

takerであり、プライドが高く、動かない人であり、思想だけの完璧主義者であり、コミュ障であり、心の狭い人だった。

まだその傾向は残っているかもしれないけど、少しずつこの思い込みはマシになってきた。羽が生えたようだ。なんだよ、この設定いらなかったのかよ〜と、拍子抜けする。

なぜマシになってきたのかといえば、「あっち側」の人と自分を比較して、少しずつ「あっち側」のマインドをインストールして、活動を始めたからだと思う。あとは、人から「行動しないよね」的なことを言われてムカついたから。くわしくはまた今度書いてみよう。

毎日投稿458日目。


サポートはお菓子代になる予定です