「働くのが向いてないよね」と言われて
きのう身内から「そもそも働くのが向いてないよね」といったことを言われて、「え、そう思うよ!」と返した。
最近は「働きたくないけど楽しく働きたい」をテーマにかかげていたけど、楽しいも何も、働きたい働きたくないも何も、「働くのが向いてない」って面白い。
正確に言えば「働くのが向いてない」というよりは「現代の日本で働くのが向いてない」なのかもしれない。江戸時代の畑仕事なら向いてた可能性あるし。海外のカカオ豆の加工なら向いてる可能性あるし。時代と場所の問題もあるよね、って思ってる。
働くのが向いてないと強烈に感じたのは、教育実習のとき。複数人の先生にアポを取って模擬授業をする日にちや内容をすり合わせたり、半年先の予定を考えながら動いたり、連絡を取らなきゃいけない先生がなかなか見つからない中で優先順位を自分で判断したり、そういう時に「あぁ無理だ」と感じた。
簡単に言うと、調整・交渉・根まわし・人間同士の決めごとに基づいたちょうどいいやり取り みたいなものが自分の性質的にはとても苦手だと気付いた。
例えで言うと、生まれつき大きい声が出せないのにミュージカル俳優をやるような苦手さや困難さを感じる。
だけど社会の中で生きていくとしたら、このような調整・交渉・根まわし・人間同士のちょうどいいやり取りばかり必要な気がしてくる。単純作業は機械がやっていて、機械で処理できないような謎に複雑化したものを人間が担当しているように見える。
複雑で込み入ったものを人間同士で交換し合うのが仕事のメインな気がするけど、どうなんでしょう。職人や専門知識の必要はまた別なんだろうか。見てる景色が偏っているのかな。
また、折り合いのつけられなさも「働くのに向いてない」を加速させる。
これも教育実習やアルバイト時代にはすでに自覚があったけど、「わたしはそうは思わないな」と感じたものを、とりあえず遂行する場面が多々あった。
簡単に言えば、そのシーンですべき行動と本心の矛盾。これを許容できないせいで、つねにフラストレーションを感じることになる。
どうやら、行動と本心が違ってても別に気にならない人もいるらしい。許容度が高くて、折り合いをつけられるタイプの人だ。
わたしは許容度が低くて、何においても折り合いをつけられない。何をしてても勝手にフラストレーションがたまっていく。(なんて損な仕組みなんだ!)
働くのに向いてない理由は、上で挙げたように、ホワイトカラーの主流(?)である調整・交渉・根まわし・人間同士の決めごとに基づいたやり取りが性質的に苦手なことと、折り合いのつけられなさが挙げられる。と思っている。
じゃあどうやって生きたらいいのかといえば、①働くのに向いてないから働かないか、②自分に合った細い道を見つけながら働くか、③我慢して普通っぽい道を歩くか、3択だと思う。
この中だったら、②細い道を見つけながら働くのを選びたい。
①の働かないのを選んでしまうと、お金の自由度が下がり、それはそれでフラストレーションが溜まりそうだから避けたい。(主語が大きくて言うのをはばかられるけど)現代の日本で暮らす上で、お金の自由度が低いと窮屈になるから。
③の我慢して普通っぽい道を歩くと、メンタルが壊れるのは分かりきってるから(学校でさえ行けなくなるような人だから)、これも避けたい。
そうなると②の細い道を見つけながら何とか働いていくことになる。
新卒でフリーランスになったのも、リモートワークやフレックス勤務で会社員をしてみているのも、田舎暮らしをしているのも、ブログなどで副業収入を得るのも、自分の仕事をつくる・働きたくないけど楽しく働くをテーマにnoteを書いているのも、すべて細い道を見つけながら何とか働くための試行錯誤である。
身内からは「稼ぐことを期待しないことにした」と言われたけども、わたしは細い道を開拓する中で、自分なりに納得感のある道を作っていけたらと思ってる。わたしはわたしのことを諦めないし、期待し続けるし、働くのに向いてなくたって「稼げない人」というレッテルを貼っていない。まだまだこれからだと思っている。自分で自分を諦めちゃだめだよね。
まだ29歳だし。29歳の時点で自分の人生への諦め癖がついてたら、もうずっと諦めてしまう気がする。
働くのに向いてないのはまだしも、生きるのに向いてない人もいるよね多分。生きてるのに、生きるのに向いてないタイプの人。なんでその構造で世界に落とされてしまったんだろう!?と思うけど、それでも残されている細い道があるって信じて、やっていこうね。開拓を楽しめたら勝ちだよね。今どんな位置にいて、手持ちのカードがどんなに不利だったとしても、開拓を楽しんでいこう。
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