自分に提供できるものは何かを考える
占い鑑定サービスをやっているけど、届けたいものは「占い」ではない。自然な暮らしを体験できる宿を開きたいけど、届けたいものは「寝る場所」ではない。
じゃあ何なんだ、と考えてみると、保健室で昼寝するような気持ち。
「保健室で昼寝するような気持ちって何よ」っていったら、社会のメインの道(≒教室)からは外れているけど、社会の外(≒学校の外)まではいかない場所にギリギリとどまりながら、「あぁ一旦ここにいていいんだ」と安心して、休んだり寝たりしゃべったり優しくされる時の安心感。かなぁ。
それを提供したいから、占いはあくまでも手段。しゃべるためのツールであり、斜め上から届くちょっと現実から離れたアドバイスのようなもの。もっといいツールがあるなら、占いの優先順位は下がるかもしれない。
自分には苦手なことはたくさんあるけれど、内なる言葉を言語化するのは得意な方だと思ってる。この「言語化する」も、誰かのために使えるはずだ。
自分が自分が、がもう少し薄れたら嬉しい。年齢的にも(?)まだそこまでいけないけど、50歳くらいになったら「自分が自分が」が勝手に薄まってくれたらいい。
自分に提供できるものは何かを考えるのって難しく感じるけど、言い換えれば「何もしなくても、自分が存在するだけで誰かに何かを感じてもらえるとしたらそれは何か?」を考えれば良いんだと思う。
わたしは「社会から外れても、自然の中で自己満足しながら生きてもいいんだ」を伝えられると思う。生きてるだけで。
自分の立ち位置が分からなくなる時もあるけど、ぼちぼちやっていこう。
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