「保健室で昼寝」という原点

働きたくない人間の働き方を研究中で、今は「自分の仕事づくり」に励んでいる29歳女です。

水星逆行中のため、過去から生き方のヒントを思い出そうと試みる。

タイトルにある「保健室で昼寝」が何の原点かといえば、自分が天職みたいなものを積み上げたり、自分の仕事づくりをする上で大切にしたい感覚の原点。将来のお客さんに感じてほしい感覚の原点。

中3の頃、心身の不調が続き、教室に長く居られない時期があった。学校を連続して休んだり、短時間だけ登校したり、保健室でぼちぼち休憩したり。

内申点のためにも登校した方がいいけれど、ずっとみんなといるのはキツい。ずっと保健室にいるほどの不調でもない。

そんな時に保健室の先生と担任の先生が作ってくれたルールが「不調の時は、自己申告制で1時間だけ保健室のベッドで寝ても良い。もし1時間横になっても治らなければ早退しよう。」というもの。

不調ではあるものの頑張れば「普通」にやれる自分にとって、ちょうどいい手札を渡された。

心身がキツかったら、1時間は保健室で寝てもいい。それでもダメなら帰っていい。だから長期の不登校にはならず、「遅刻してでも早退してでもとりあえず登校するか」ができた。

保健室で寝るのはとても気持ちいいし、心が安らぐ体験だった。信頼できる先生がいる。わたしにがっつり向き合うわけでもなく、事務作業や他の生徒の相手をしながら同じ空間にいる。敵がいない。静か。寝不足のわたしに寝床と時間を与えてくれる。ケータイもないから寝るしかない。布団が柔らかい。あたたかい。

とくに保健室のベッドの中で聞く「静寂とザワザワの境目」が好きだった。

休み時間から授業に入るときは、校舎全体が急に静寂に包まれる。授業から休み時間に入るときは、ザワザワのボリュームが徐々に上がっていく。給食の時間はとくにザワザワが分かりやすい。

うとうとする中で「あ、給食の時間か」と思うのが好きだった。給食の時間になると、仲のいい友達が保健室まで迎えに来てくれることもあって、それも嬉しかった。

自分の仕事づくりの中の「WILL」に関わるのは、このあたりだろう。仕事の中でも特に魂に紐づいた仕事は、この「保健室で昼寝する感覚」が価値観として内蔵されているんだろう。

あの感覚は、どう説明できるんだろうか。

頑張りすぎたり不調を感じたりする中のオアシスであり、癒やされる場所だった。休むことや降りることをダメなことと捉えがちなわたしに「あなたはここに来たからには、寝る資格があります」「あなたはルールの中で、癒やされる資格があります」「あなたは疲れているので、休憩する資格があります」と伝えてくれる場所だった。

限られた条件の中ではあるけども、ここの中では安心して生きてくれ、と伝えるもの。

わたしは最終的には自然を感じられるご自愛の宿をやりたいけど、その手前にある占いや本や畑の活動やら全部がここにつながっている。

保健室の先生を目指していたし、大学で免許も取得した。でも、ならなかった。それでも、自分の中では保健室は原体験のある場所だし大切だ。

大人の保健室とか町の保健室とかいうネーミングのものを見ると、別に保健室・保健の先生って相談系の活動だけじゃなくて怪我の手当や疾患の対応、衛生関係、感染症対策、保健の授業などいろいろな機能があるから、民間の何かに対して雰囲気ありきで「保健室」と名付けるのには違和感を感じてしまう。とかいうこだわりもある。保健室の先生にならなかったくせに、勝手に違和感だけ持っている。

大学4年生の頃に立ち上げたブログのタイトルが「保健室で昼寝したい」だったし、もうその時点で自分の感覚をとらえていたんだろうね、早い。若い頃って何も分かってないようで、全部分かってるよね。小3が「大事なことを全部分かっている」のピークで、そこからだんだんと誤魔化しや欠落が増えていった気がする。小3くらいで人間はすでに完全体だと思うね。大人になるにつれて失っていく。

まだまだ水星逆行が続くので、過去に潜って大事なものを持ってきたい。

毎日投稿484日目。

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