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短歌制作ワークショップに参加した

富士吉田で開催された短歌制作ワークショップに参加してきた。短歌のイベントに参加するのは初なので、ドキドキして変な汗をかいた。

短歌は5年くらい前からハマり、忘れた頃にまたハマり……を繰り返している。

ハマったきっかけは、図書館で「短歌タイムカプセル」を読んだこと。

好きな歌人は岡野大嗣さん、木下龍也さん。

わたしもそろそろ短歌を形にしたい、ZINEにしたいと思い始めた頃にワークショップのお知らせが流れてきたので申し込んでみた。

まず嬉しかったのは、短歌初心者の仲間がたくさんいたこと。なぜか素人は短歌を詠んじゃいけないようか気持ちになって、ましてや人に見せるなんてもってのほかだと思い込んでいたので、仲間がたくさんいると分かって嬉しかった。

上手くなくても、かっこつかなくても、感じたことを文章にしたり発表したりしていいんだ!と思えたことがとにかく嬉しかった。

伊藤紺さんの優しさのおかげだと思う。ありがたい。

短歌を人の目の前で発表するなんて、わたしにとっては裸で外を歩くくらい恥ずかしい。かっこつけてるみたいで、ありのままをさらけ出すみたいで、本当に恥ずかしい。

それでも人前で発表できたので、ひとつ壁を乗り越えたと思う。

はじめてお目にかかった短歌用の原稿用紙

次に嬉しかったのは、書いた短歌に感想をもらえたこと。参加者さん3人+歌人の伊藤紺さんが感想をくれた。(伊藤紺さんに会えてしまったことに未だにドキドキしている!)

わたしなんかが書いたものを聞いてくれる人がいて、共感するところがあって、感想を伝えてくれる人までいるなんて、世界に許された気持ちになった。こんなに世界に許された気持ちになったのは、旦那と付き合い始めたとき以来だ。

わたしが「この方の短歌、好きだ」と思った方が感想をくれたのも尚更嬉しかった。

嬉しさと恥ずかしさが極まって、感想を伝えてくれた人の方を見れなかった。感想を伝えてくれた方、ありがとうございました。

発表したら感想をもらえた短歌。(大変恥ずかしい)

旅でだけ恋人としていれたこと
こぼれた水を拭くものはない

〈旅でだけ恋人としていれたこと〉

観光地のベンチでぼーっとしてたら、カップルなのか、夫婦なのか、はたまた不倫なのか分からない男女がいるのが目についた。

と同時に、わたしもかつて好き同士だったはずなのに付き合えなかった人と旅行したことを思い出した。

旅先ではお連れ様や彼女さんと呼ばれて、その時だけは付き合ってるとしか思えない気分になったのが刹那的ながらまっすぐに嬉しかった思い出。きらめいていた。

〈こぼれた水を拭くものはない〉

これはイベント会場の机の上で水をこぼしてしまい、あわあわしてしまって、これを短歌に入れたくなったもの。合体させてみた。

水には「水物」「水子」など、形にならずに流れていってしまう印象がある。形あるものとして成立しなかったという意味での水。涙も連想されるなぁと思った。

水をこぼしっぱなしにする無責任さ、泣いても拭いてもらえない関係性が出せるかなと思い、短歌にしてみた。

「もの」は「物」でも「者」でもよめそうですねと感想をくださった方もいて、自分の感覚を超えて別のものを感じ取ってもらえる嬉しさも味わえた。

一番好きな言葉の人、GARNET CROWのAZUKI七さんが「解釈は受け取り手に任せる」「解説しない」的なことを言ってたのを思い出した。

言葉が自分から離れて、誰かの中で固有の形で生きてくれたらそれほど嬉しいことはないかもしれない。

この短歌、感覚は良いと思ってるけど表現は改善の余地ありだと感じているので、温めながら育てたい。

それにしても参加者さんたち、おしゃれで都会っぽい雰囲気の人が多くてびっくりした。短歌を詠む知り合いがひとりもいなくて、「短歌を詠む人ってどんな雰囲気の人なんだろう?」と気になっていたので、このあたりも感じられてよかった。

最近、透明な眼鏡が流行ってるのかな?目黒蓮みたいな髪型が流行ってるのかな?とか思った。

そのレベルの田舎者がシティー感溢れる人の中に混ざってしまった。楽しかった。

これからエッセイと短歌のZINEを作って、11月の文フリに出店するのが当面の目標だ!

恥ずかしさを乗り越えたり、共感してもらえたり、とても意義深い日になりました。

伊藤紺さん、スタッフのみなさん、同じ場にいてくださった参加者のみなさん、本当にありがとうございました!

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