やりたいことは自分の理想郷づくり、ただそれだけ
わたしのやりたいことは、自然と思える暮らしをすること。衣食住を手作りすること。自分の土地と家を持って、日々それらの手入れをすること。自分にとって理想郷と思える空間をごく親しい人間と作り上げること。自然から受ける神秘的な感覚を天に向かって表現すること。いい気分で過ごすこと。天から言われたことをやるだけの暮らし。自然に組み込まれてしまった暮らし。
どうしても、普通の働く仕組みの中では生きにくい。図太いので生きづらさこそ感じないものの、しっくりはこない世界。「これやだな」と過敏に反応する。
そんな自分でも出来るかもしれないことは、いいと思える暮らしをただすること。もうこれしかないんだよね。
暮らしに共感してくれる人からお金をもらい、そのお金を自分たちの暮らしに循環させて、いいものを買い、循環させて、を繰り返すこと。
もらって終わり、あげて終わりだと、たくさんのスタートとたくさんのゴールがあるから、単純なお金で完結してしまう。そうすると高いなと思ったり安いなと思ったり、溜め込まなきゃと思ったり、多めに稼がなきゃと思ったり、疲弊する。
もらったものを流すイメージで考えると、得意なことでお金を受け取ることにも抵抗が無くなるんだろうか。
で、肝心の「この形がいいんじゃない?」と思う仕事っぽいものは、暮らしをともにするプログラムの提供。たとえば6泊7日で滞在して一緒に暮らすような。
わたしは一瞬の出会いで品質の高いものを提供する自信は相当低い。レストランとか、すごいと思う。わたし絶対にできない。だからって長く関われば関わるほど良さが出るような地道な性格の素晴らしさも持っていない。
だけど、やたら何かを感じ取ったり、衝動的に動いたり、変なものを変!と気づいたり、動物としての感覚で何かを先導する立ち位置としては悪くない気がする。
「コンポストめっちゃ楽しいんだが!」「かぼちゃの種から来年もかぼちゃができるの、面白すぎるんだが!」と叫ぶようなイメージ。
わたしの動物的な気付きを受け取るからこそ「あ、言われてみれば確かに」と思ってくれる人もいるはずだ。そういう人の共感をもらって、お金をぐるぐるできたらいいなぁと思う。
つまり滞在型のプログラム。金額については、そのお金だけで自分たちの生活がまわり、かつ次のプログラムが無理なく実行される金額をもらえたら循環達成だと思うから、その金額がいい。
お金をお金として溜め込んだり使ったりというよりも、ただの等価交換ツールとして、物ありきでお金をぐるぐるまわしたい。
似たようなことを考える数百人とともに、似たようなルールのもとで暮せば、小さな世界として成立すると思う。地域通貨みたいなものを導入しているコミュニティは、わたしの考えの先駆けなんだろう。学ばせてほしい。
形としては滞在型のプログラム。わたしが何者かで言えば、生活者、詩人、哲学者、占い師、著述家、農民、百姓、作家、アーティスト、そういうのをごちゃ混ぜにした訳のわからない人。もはや肩書きは気にしないし何でもいいのだけど、自然の神秘を自分の言葉で伝える人でありたい。勝手にそうなってしまうだろう。
今は滞在型のプログラムができるかといえば、そんな大層な暮らしはしてないし、泊まってもらう場所もきわどいしで、やりたいことをまるごと提供するのは難しいかもしれない。だけど、要素要素ではすでに提供できることがたくさんある。
野菜をおすそわけするとか、収穫するために遊びに来てもらうとか、気づいたことをしつこく発信するとか、そういう人が集まるところに行くとか、友達と話すとか。とにかくオフラインでできることをやりながら広げていこう。できるのにやってないことがまだまだたくさんある。失敗してもいい、下手くそでもいい、間違ってもいい、命に関わらなければ大丈夫。
とにかく自分の理想郷と思える空間を作りたい、それだけ。衣食住を作りたい、それだけ。なぜかは分からないけど、作りたいという衝動がずっと続いている。それだけの自己満足をするために生きている、という自信がある。理想郷を作るという自己満足のために生きている。
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