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大好きな日本を次世代へ。変わらぬ「エゴ」を、官民両面から実現する

「これだ」と思っても続かない。やりたいことなのに頑張れない。現実に打ちひしがれ、理想を描くことすらなくなった。こうした壁にぶつかる人は多いのではないでしょうか。10%の第2回は、新卒から10年弱外務省に勤め、現在は戦略コンサルタントをされている大内ひかるさんにお話を伺いました。官僚、留学、コンサルと華々しいキャリアを歩まれているひかるさん。その背景にある強い思いと、「志」を保ち続ける秘訣に迫ります。「志」も始まりは「エゴ」。もがきつづけるすべての人へ、3つのヒントは必見です。

変わらぬ日本への思い

ーーはじめに、ひかるさんのこれまでのキャリアを教えていただけますか?

新卒から10年弱外務省に勤め、現在は戦略コンサルタントとして働いています。もともと国際開発に関心があったのですが、就活の軸は「途上国のためにも日本のためにもなる仕事」でした。JICAや国際機関、当時流行していたBOPビジネス、NPOなども選択肢でしたが、最も純粋にその思いに向き合えると考えたのが、最終的には外務省でした。

外務省ではまずアフリカとの関係構築に携わり、次にジュネーブにある日本政府代表部で貿易関連の業務を担いました。その後、安全保障分野での政策立案等を担当しました。

外務省時代は、ハーバード・ケネディスクールで2年間の留学も経験しました。自身の築いてきた常識が揺るがされる経験でしたし、何より、日本に貢献したい気持ちが強まりましたね。日本企業の課題解決を通じて日本経済を良くしていきたいと考え、昨年11月に戦略コンサルタントファームに転職しました。

ーー責任ある仕事を歴任された濃密な10年間だったのですね。留学を経て日本への思いが強まったきっかけは何だったのでしょうか?

アフリカやアジア出身の学生とともに学ぶなかで、彼らの「母国を良くしたい」思いの強さに感銘を受けたことです。途上国をサポートしたい気持ちも持ち続けていましたが、実際にその国で生まれ育ち、優秀な政治家や社会起業家としてその国の課題解決に貢献する同級生を前に、私自身の母国である日本のことを考えないわけにはいきませんでした。

日本にも、多くの課題がある。そんななかで私がやりたいことは、大好きな日本を、大好きな状態で次世代に引き継げるよう尽力することだ、と改めて感じました。 

ハーバード・ケネディスクールの卒業式。地球儀を持つのが伝統だそう

ーー世界中の学生と学び、母国への使命感を強められたのですね。そこからコンサルティング企業に転職されたのはなぜですか?

「日本のために」を改めて考えたとき、民間企業が直面している課題や解決策について学びたいと考えたからです。外交は国民生活にも重要な役割を果たすものですが、一方で皆さんが日々実感するものではないと思います。なので外務省の次は、外交を支える経済力の源であり、かつ国民の生活の柱でもある企業の経済活動について知るべきだと考え転職を決めました。

小さな自信の積み重ねが大きな挑戦に繋がる

ーーひかるさんからは、一貫して社会に対する強い正義感を感じます。その考え方は先天的なものなのでしょうか?

先天的ではなく、親の教育が大きな要因だと思います。たとえば細かい話だと、小さな頃、嫌いな食べ物をを残そうとすると「世界にはご飯を食べられない子もいるのに残しちゃダメでしょ」と言われていたんです。幼少期から、恵まれていない人々に対して想像力を働かせるよう教えられてきましたね。

ーー官僚に留学に戦略コンサルと、いわゆるエリートキャリアを歩まれてきていますよね。たゆまぬ努力の結果だと想像するのですが、それも親御さんの影響が大きかったのでしょうか?

そうですね、努力を続けられたのも、親の背を見たことによるものが大きいと思います。私の父は長野県の山奥の農村出身で、貧しいながらも勉強に励み、飛行機のパイロットになった人なんです。「努力すれば報われる」という価値観を体現してくれたので、私も自然にそうありたいと思っていました。

同時に、「努力すれば報われる」を信じられることは決して当たり前でなく、環境に恵まれていた結果だと感謝しています。私にはたまたま努力を支えてくれる親がいて、その努力が結果に結びつき、小さな自信の積み重ねがまた大きな挑戦に繋がるという好循環ができただけなんです。

ーーそれだけの努力とキャリアを積み重ねていながら、達観されているのですね。そんなひかるさんでも「これは難しかった、厳しかった」と感じるような、特に印象に残っている挑戦はありますか?

担当していた国際貿易センターという国際機関のドナー・コーディネーターを務めたことです。コーディネーターは、まさに調整役として、ドナー国と国際機関側での意見交換を定期的に行う際に、ドナーとしての立場をまとめることが求められます。

カウンターパートは皆一回り、二回り年上で、貿易と開発分野の専門家ばかり。私が最若年で不安しかありませんでしたが、勇気を振り絞って立候補し、1年弱、日本の外交官とドナー・コーディネーターとしての帽子を被り、ドナーの立場をステートメントとしてまとめたりしました。

自分の少しの挑戦で獲得したこのコーディネーターとしての業務は、日本の情報収集、関係構築はもちろん、毎回の会合で“Japan”が言及される頻度が格段に増え、日本のプレゼンス向上に貢献できました。

もうひとつ、経済安全保障政策室の立ち上げ期の仕事もチャレンジングでした。経済安全保障とは、安全保障の裾野が経済・技術分野に一層拡大している中で、経済面から安全保障を確保することです。

私自身は日米豪印をはじめ、他国との連携をどのように推進すべきかを主に担当していました。ゼロベースのことも多く、そもそも扱うべき議題の設定から、日本政府内での見解の決定、関係国との合意形成など、難所ばかりでしたが、やりがいも大きかったです。

ケニア・ナイロビの国連常駐調整官事務所でのインターン先の同僚と

ーーニュースで見るようなお仕事ばかりです。新卒時代から大きな挑戦をされてきたのですね。

ただ実をいうと、「リスクを取って何かを掴み取った経験」はまだできていないと思っています。エリートと言ってくださいましたが、常に大きな組織に守られており、それもリスクを取り切れない自分の弱さの裏返しだなと感じます。私の次の課題は、本当の意味で自分の思いに従って挑戦することですね。

地方に秘められたポテンシャル

ーーキャリアの根底には日本への貢献意欲があるとのことですが、特に取り組みたい課題はありますか?

地方活性化です。父方の実家が長野の限界集落なので、身近な問題なんです。行政の合理的な目線では、地方の小さな町村は撤退したほうがいい、という意見もあると思います。しかし一故郷を持つ人間としては、「消えてほしくはない」と思うのが本心です。

個人的な意見ですが、効率性ばかり重視してあらゆる地域が東京のようになったとしたら、どこも似たようなつまらない場所になってしまうと思うんです。だから多様性の観点では、地域の食やお祭りなど、色々な特色が残っていくことが大事だと考えています。そのような価値観への共感者が増えれば、地方の自立や、東京一極集中の緩和にも繋がるのではないでしょうか。

それにどんな地域にも、観光や農業など様々な分野で可能性が眠っていると考えています。たとえば観光だと、インバウンドでより収益を上げるモデルが作れるのではないかと思いますし、農業だと、もっと輸出を増やす施策が打てるのではないかと思ったりします。そうして産業を盛り上げることで、地方にも人材が流れてくるのではないでしょうか。外務省から戦略コンサルという、官民での経験を活かして取り組んでいけたらと考えています。

長野の郷土料理「おやき」づくりの様子

若者が希望を持てる国へ

ーーひかるさんのビジョンがとても伝わってきました。今後の展望もお聞かせいただけますか?

まだ模索中ですが、今はどこか停滞感の漂う日本で、若い世代が未来に希望を持てるようにしたいです。私自身も希望を持ちにくいので。自分たちの乗る船が良い方向に向かっていると感じられるだけで、人生に希望を持てるかが変わってきます。そういった意味で、途上国が羨ましく感じたりもします。様々な社会課題はありますが、すごくエネルギーに溢れていますし、この国は良くなっていくんだという明るい展望を感じますよね。日本で生まれ育つ若い世代にもそういう希望を抱いてほしいんです。

また、国際的な舞台で日本人女性としてリーダーシップをとれる人になりたいとも考えています。留学先では女性の社会参画が当たり前でした。日本人で初めて国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子さんのような方に憧れています。

腹落ちした志は簡単に捨てられない

ーー新卒から10年近く経っても、志を高く保ち続けられるのがかっこいいなと感じます。学生時代に夢があっても、社会に出て現実に打ちひしがれたり、志を失ってしまったりするのは珍しくないと思うのですが、そうならないためにできることは何でしょうか?

前提として、「志」も始まりは自分のエゴだと私は思っています。志が高いからいい、低いから悪いというわけでもないし、やりたい人がやればいい。モチベーションが変わるのも仕方ないと思うんです。

その上でひとつは、本気で自己分析をすることです。多くの人が就活で経験すると思うのですが、それが十分でないと、社会に出てから「違うかも」と感じてしまう。私は就活でも留学先でも、徹底的に自己分析を行いました。留学先の授業では、家族と話したり、祖先の代までルーツを遡ったりして価値観の源泉を深堀ることもあったんです。そこまですると、「自分はこういう人間だ」と腹落ちするんですよね。先ほどお話しした「努力すれば報われる」というコアな価値観に気づいたのもそのひとつです。

価値観をクリアにしたら、次はその価値をどのように社会で体現できるかを考える。これが志になっていくんです。徹底的に自分を深掘りし辿り着いた志は、何年経っても簡単には捨てられません。

ーー志を保つ以前に、深く腹落ちした志を見出すことが大切なのですね。

はい。ただそうはいっても、私にも挫けそうな時はありました。なのでもうひとつは、志が維持できる環境に身を置くことですね。周りの人や環境で、自分を奮い立たせることができます。私自身も、尊敬できる人たちと一緒に仕事をしたり、やりたいことにつながる仕事を探し優先的に時間を使ったりすることで、志を維持することができました。

そして、与えられた環境でベストを尽くす誠実さを持つことも大切です。志を維持できなくなる理由のひとつには、無意識のうちに楽な方に逃げてしまうパターンもあると思います。人間は地位が上がると勘違いしてしまうところがあるからこそ、どんな環境に置かれても真摯な姿勢を持ち、初心を忘れずにいることが大事だと考えています。

自立した優しい挑戦者とは

ーー最後に、ひかるさんの考える「自立した優しい挑戦者」像を教えてください。

自分で考えて自分で行動できる人、他者への広い意味でのエンパシーを持っている人、そして、周囲を巻き込み共通のゴールに導ける人、でしょうか。私自身も、どんな組織にいても、それは大切にしたいなと思っています。

編集後記

華々しいキャリアや高い志を持ちながらも、驕ることなく真っすぐに思いを語ってくれたひかるさん。ひかるさんの放つ言葉一つ一つから、「日本を良くしていきたい」強い思いが伝わってきました。

「志」と聞くと身構えてしまいますが、ひかるさんがおっしゃるように、壮大なものでなくてもいいのかもしれません。「もっと素直でいい」そう言われたようで、なんだか心が軽くなりました。

腰を据えて自分と向き合い、確信を持てる大切な思いに気づけたら、きっと今より輝ける未来が待っている。ひかるさんの背中が、私たちにそう教えてくれている気がします。

(文・坂上晴郁 編集・山崎真由)


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