1月14日の日記
日曜日。フォロワーさんと会って、おいしいものを食べ、舞台できらきら輝く推しを眺め、うまいコーヒーで冷え切った体をあたため、帰宅してシチューを煮込み、これで今週は乗り切れるなと安堵し、あつあつの湯船に浸かって鼻歌を唄い、沈香のお香を炊いて白湯を飲み、「明日からも仕事がんばろー!」とインスタのストーリーに投稿した。充実した一日を抱きしめて眠る。
翌朝、胃痛とともに目が覚め、退職を決意する。
最近ずっとこんな調子の毎日で、土日でリフレッシュしたぶん余計に月曜の朝がつらい。何を消化しようとしているのか知らないが、胃液ばかりが分泌されて、胃痛胸焼け吐き気とともに起床する朝。唸りながら布団を顔まで引き上げ、ろくに二度寝する時間もないくせに目を瞑って現実から逃げようと踠く。
こんな日常からさっさと抜け出したい。そう思ってもう何年経つのだろう。もがけばもがくほど落ちていくアリ地獄から一向に抜け出せず、気づけば奈落の底で膝を抱えてこげぱんのポーズを決めている。
ふと、こんな人生、しょうもないなぁと思ってしまった。
今までもぼんやりとそう思ってはいたのだが、そうは言っても生活がかかっている。それなりに仕事に対しての責任感もやりがいも感じていたし、何より自分の仕事に対して自信があった。目に見える成果以外にも私が会社に貢献できることをしてきたつもりだったし、周囲もそれを評価してついてきてくれていた……と思う。
大阪の事業所を出る時、二週間ほど毎夜毎夜のお祭り騒ぎで、人を変え店を変え送別会をしてもらったこと。最後まで仕事に追われて全然帰れないダメ上司を前に「てんさんが終わるまでいつまでも待ちますからね!」とにこにこ並んで待っていた部下たちの顔。そういうあったかい思い出が、ずっと私を引き留めていた。
でも、思い出だけじゃ生きていけないのですよね。ジュディマリも言ってたけどさ。
そういうわけで、退職を切り出した。少しご相談があるので、30分ほどお時間をいただけないでしょうか。上司に送ったチャットは、即既読になり翌日に面談が設定された。
今こういう理由でしんどいです。体調も崩しがちだし、メンタルもそこそこに限界です。仕事をちゃんとできてない自覚もあります。ごめんなさい。でもつらいです。業務に集中できていないんです。
こういう時でも強がって見せる愚かなわたしは、部下の報告をするようなテンションで話をしていたと思う。
上司がそれに対しての解決案を提示してペラペラとしゃべり、ぴたと動きを止め、「てんさんが求めているのはこういう話じゃないと思いますけど」と言った。バレているな、と腹を括った。
6年働いてきて、しっかりと「退職」という単語を発したのは初めてだったかもしれない。酒の勢いも借りず、真昼間に正々堂々と挑んだ。それだけで褒めてやりたい。
それでもひよった私は「まだ悩んでるんですが」と前置きをした。泣き出すのをぐっと堪えるので精一杯だったのだから許してほしい。
冬の賞与面談でうっかり泣いてしまったから、今日は泣かないぞと決めていたのだ。お気に入りのハンカチをテーブルの下で握りしめて。
悩んでいるのは、あったかい思い出がまだ冷めきっていないからだ。手を伸ばせばそこに確かにあるから。早く大阪に帰ってこいよーと言ってくれる先輩社員もいる。深夜2時過ぎまで缶ビール片手に愚痴を言い合える同僚もいる。私のことを深く愛し見守ってくれている人たちも、慕ってくれている部下や後輩たちも、少なからずいると信じている。
ただ、その人たちに見切りをつけられる前に立ち去りたいという思いも同時にある。惜しまれるうちに、なんで辞めるんだよと泣いてくれるひとが(本当にいるかはわからないが)いるであろううちに。
あとわたしを引き留めるのは、生活のこと。
自分への投資もそこそこに、できれば、わたしはわたしの愛する人たちのためにお金を使いたい。
こんなにもどうしようもない人生を歩んでいるわたしには眩しすぎるほど魅力的な人たち。わたしに生きる理由をくれ、わたしの心をあたためる人たち。
友人であれ、家族であれ、ちがう世界で生きている人たちであれ。
どうか溢れんばかりのしあわせがその人たちにありますように。そう祈っては、よろこぶ顔を思い浮かべて財布の紐をゆるめてしまう。
そうなれば、何の取り柄もないわたしにできることは、人一倍働いて稼ぐことくらいしかないのだ。
一旦保留。
予想していた点に矢は落ち、しばらく経過観察となる。改善案を考えるので少し時間をくれ、と上司は言った。相談というので恐らくそういう話ではないかと社長と事前に会話していたよ、とも。
傾向と対策を練られてきたなと不覚の致す限りだが、そういう話をこそこそと裏でされること自体も嫌なところのひとつなんだがな、とため息をつく。
もう少し啖呵を切って「辞めます!」と言ってもよかったかもしれないが、本当の結論を出すのは、会社の出方を見てからにしよう。
一度は骨を埋める覚悟をしたこの会社が、わたしをどう扱うのか、この目で見てみようじゃないか。
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