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【R18】短編小説 サムシングブルー(サンプル)

【あらすじ】
 挙式を一週間後に控えた千秋は、女友達ふたりと独身最後の無礼講、バチェロレッテ・パーティーにSMがテーマのハプニングバーREIに足を踏み入れる。そこで見かけたのはのは、千秋が十代のころ、一生分の嫉妬を使い果たすほどに憎しみ責め苛んだ女、咲子だった…。

【本文試し読み】
「チャキが一番早く結婚するなんて、なんか嘘みたい。それもケンと」
 香奈子にそんなことを言われるのは何度目だろう。
「うん。一番信じてないのは私」
 金曜の夜だったので、待ち合わせをしたバーは混み合っていた。気分が落ち着かないのは、あとから来るはずの愛美のためにもうひとつ席を確保できなかったせいだ。
「ね、愛美はこれからどこへ行くか、知ってるの?」
「内緒に決まってるでしょ。私たちの最初のバチェロレッテ・パーティーなんだから」
 私と健也が結婚を決めたときから、私たちは、というか香奈子はバチェロレッテ・パーティーを開くのを楽しみにしていた。独身最後の無礼講。
「で、なんでケンなの? たしかにセックスが上手いのは認める。それにお坊ちゃまだし、頭よくてルックスも合格点だけど……大丈夫なの? 結婚は一生ものだよ。ふたりとも飽きてすぐ浮気しそう」 
 香奈子の言いたいことはわかる。でも、ふたりとも、浮気に対しては咎め立てをしない。話し合ってそういうことにしたわけではないけれど、そもそも咎め立てするほどの情熱みたいなものが私たちの間には存在しない。 
 結婚を決めた今でも、健也はすごく仲のいい友達としか思えない。アメリカ留学中に知り合ってから、何度もつき合って別れて、というかどちらかが誰か別の相手と寝てなんとなく疎遠になり、それでも狭い留学生の世界の中で、顔を合わせないわけにはいかず、また何ごともなかったようによりを戻す。そんなことを繰り返していたので、お互いに誰と何回寝たかとか、そういうレベルまで把握している。
 帰国してからもその延長でゆるくつき合っていた。健也はおそろしく忙しい外資系の銀行に就職したので、ここのところ私以外の女の影を見ることはなくなった。かといって、私のことを束縛しようとはしない。
 健也のことも他の誰かのことも、切実に、相手を束縛したいと思うほど好きになったことがない。十代のある時期に、一生分の嫉妬を使い果たしてしまったのだ。
 誰の目から見てもナイスガイな健也にはどこかしら屈折したところがある。私と他の男とのセックスを根掘り葉掘り聞きたがるのだ。それが、そのころの私みたいで、それでも、健也はそのころの私よりもずっと冷静で、ちゃんと嫉妬を飼いならしている。私にはそんな余裕はまったくなかった。
 健也のことを嫉妬に狂うほどは好きにはなれなくても、健也は私の中で燃焼しきって空洞になってしまっている心の一部を心地よく満たす。
 今年に入ってから、健也に冗談みたいなプロポーズをされた。
「チャキ、俺たち結婚しないのはちょっとおかしくないか?」 
 そう言われてみるとその通りだった。嫉妬し合うほどの愛なんてなくても、あるいは楽しむみ程度にしか嫉妬できなくても、健也とは似たもの同士というか、これ以上は望めないくらいにお互いの考えていることがわかって、一緒にいるのが楽だった。でも、そういう理由で結婚してしまっていいものなのかどうかはわからない。ただ、私の母も、健也の両親も私たちの結婚には最初から乗り気だったので、これといった障害もないまま、挙式まで一週間というところまで来てしまっていた。
 
 窓の外をぼんやりと眺めていると、男の子みたいなベースボールキャップによれよれのパーカーという出で立ちの愛美が、バーの入り口に向かって歩いてきた。香奈子と私はスツールから立ち上がる。
「ねえ、式は教会式なんでしょ。チャキは誰にエスコートされてヴァージンロードを歩くの?」
 あまり足を踏み入れたことのない歓楽街のようなところを、香奈子にくっついて歩きながら、愛美が私に聞いた。特定の宗教を信じているわけではない私は、結婚式の形式にはとくにこだわってはいなかった。健也の両親が派手な結婚式を望んでいるのなら、そのとおりにしただろうし、桐の箪笥たんす一式を買うぐらいの貯金はあった。しかし、健也の両親は思ったよりものわかりのよい実質的な人たちで、結婚式は私たちの好きにさせてくれることになった。式場でなく教会で挙式、形式ばった披露宴の代わりに、近くのレストランに移動してパーティーを開く。料理もケーキもドレスも記念品も、お仕着せでなく自分たちでちゃんと手配した。ブーケは通販で手作りのキットを購入して、自分で作る。温度の低い関係を押し隠して結婚することへの罪滅ぼしのように、そんなことばかりにこだわっている。
「伯父さん。父の兄にあたる人」
「そうなんだ」
 愛美の唇が何かを言いかけたみたいに動いて、止まる。父は私が留学しているときに、くも膜の発作で急死した。そのときの私のひどい状態は愛美も香奈子も、もちろん健也もよく知っている。だから愛美が何を言おうとしたのか、察しがつく。お父さん、チャキの花嫁姿、見たかっただろうね、とか、そんなこと。私は、愛美が口に出さなかった質問に答える。声には出さずに。父がまだ生きていたなら、おそらく誰かと結婚することなんて、考えもしなかった。

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