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芸術家

久しぶりにフェイスブックを開いた。イタリアに住んでいる妻のピアノの先生の様子を伺おうと、アイコンをタッチする。先生お元気かな、と気軽に見たのだけれど昨年8月末に亡くなられていた。

 先生の演奏(伴奏?)を初めて聴いたのは、2001年に行われた妻の歌の師匠の門下の発表会。下は高校生から上は60代のマダムまで、総勢50人くらいの生徒の伴奏を聴いた時。場所は目黒公会堂(今はありません)僕も妻も22歳位だったか。
発表会の伴奏者は二人いて、一人は男のM先生で、もう一人が女性のS先生。お二人共音楽大学で教鞭をとられていて伴奏もとても聴きやすかった。
クラシック音楽に造詣のなかった僕は、妻の出番を待ちながら、様々な声楽家とその伴奏を5〜6時間通しで聴いた。
ずうっと聴いているのに疲れない、6時間聴いていても聴けてしまう。これがクラシックなのかと驚いたものだが、二人の伴奏の素晴らしさもあったのだと今にして思う。
声楽は全くの門外漢だったので、ピアノに注力して聴いていたら、同じ曲なのにS先生の伴奏は構造的に奥行きを感じた。同じ椿姫でもナゼ演奏者によって印象が変わるのか。このときは分からなかったが、後に妻に聞くと先生はオペラの総譜をあたってから伴奏に落とし込むからではないか?と言っていた。それって凄い事なのでは?きっと先生の頭の中では他の楽器も鳴っていたのだろう。

S先生は背が低いのだが、すべての所作が美しく堂々としていてかっこよかった。ピアノの椅子に腰掛ける前にジャケットの裾をパッと後ろに振り払い座る、シャツの袖を少し引いてからピアノに向かう。
演奏も本当にカッコよくて、5年間もこの発表会に観客席から参加し続けて、いつしか先生の演奏のトリコになっていた。
舞台を降りると気さくなお人柄で「あらー、あなたがTの彼氏なのね!よろしく頼んだわよ」みたいに肩をポンと叩いてくれるような方だった。お相撲が好きでよく力士の話をしていた。妻によると、幼少の頃は女柔道家になろうと本気で思っていたらしい。

先生の独演会に行ったら、コチラはコレペティではなく一人のピアニストとしての先生を垣間見れた。曲は先生の敬愛するフランツ・リスト。今でもあの空間にいたことを思い出すとあまりの偉大さに涙がにじむ。それは音楽に対する作曲者に対する畏敬の念を、先生を通して感じられたからなのだと思う。きっと録音したものを聴いても同じ感動は得られない。それはどんな演奏家の作品でも同じだろうし、演者にもその気概はあるだろう。(録音されたものは、それはそれでありがたいけれど)

先生はその後教職を辞して大好きなイタリアで12年暮らした。芸術と酒と食の国。現地でも先生をやったり、伴奏をやったり演奏会をしたりして過ごされていた。妻もイタリアに旅行に行った時に会いに行っている。フェイスブックを見る度、陽気な先生の笑顔に安堵したものだった。日本よりも居心地が良かったのだと思う。今は御本人の意志でローマの地で眠りにつかれている。

また先生の演奏が聴きたい。

https://youtu.be/njvM4C663Zk

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