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Daydream

—1—

その日は良く晴れた1日だった。
理穂はいつもと何も変わらない時間を過ごしていた。大学に行き、友達と話し、講義を受ける。不自然なことなんて何もなかった。今日は講義が終わったあと弘樹とふたりで映画を観にいく予定がある。とても楽しみにしていた理穂は、早く講義が終わらないかと時計をチラチラと気にしながら、熱っぽく話す教授の言葉をノートに書きとめていた。あと20分で講義が終わると思っていた、そのとき。マナーモードの携帯の振動を上着のポケットの中で感じた。理穂は教授の話しから目を移して携帯を取り出した。メールが一件入っていた。

「緊急連絡」
先程、14時35分に笠井弘樹さんが走行中の乗用車に接触し重体です。
東京J大学病院に搬送されました。すぐに駆け付けますように。

理穂は目を疑った。
―弘樹が事故?重体?
すぐに病院に行かなくてはならない。混乱する頭で理穂は机の上の教科書とノートをバッグにしまって教室を出ようとした。そのとき理穂の動きが止まる。講義はあと20分で終わる、今慌てて教室を出て行こうとすれば教授の熱弁を邪魔することになる。それに、まだ今日のぶんの講義のノートを全部写していない。何故だか分からないが、講義の途中で教室を抜け出すのは他人に迷惑になる、他の生徒たちに申し訳ない、という思いが強くなる。
―弘樹は重体…でも、講義中だから…。
理穂は椅子に座り直してノートを広げた。
―教授の講義が終わるまで待とう。弘樹の元に駆け付けるのは、その後だ。

そうして20分が過ぎる。もう講義も終わる時間だ、と思ったそのとき、また携帯にメールが届く。

「緊急連絡」
先程、15時22分に笠井弘樹さんが息を引き取りました。
通夜の日程などは、追って連絡致します。

理穂がそのメールを読み終わったときに、講義終了のチャイムが鳴った。理穂は絶望的な気持ちになり、その場に固まった。
―弘樹が死んだ…?20分、私が20分待っている間に。
すぐに教室を出て急いで駆け付けていたら、息を引き取るのを看取れてたかもしれない。
―どうして私は弘樹よりも講義を優先してしまったんだろう…。
理穂の頭の中の混乱が講義の終わった教室のざわめきに共鳴していた。
―とにかく、すぐに弘樹の元へ行かなくては、急いで。

理穂は自転車を急いで走らせた。走らせている間に不思議な感覚を覚えた。
―どうして私は急いでいるんだろう?
腕時計を見ると時間は朝の8時20分だった。周りには仕事や学校に向かう人々が駅方面に集まっていた。
―8時20分?さっき時計を見たときはもっと時間は違ったような…。
理穂はぼんやりとした頭で思い出した。
―そうだ、私はこれから大学に行く途中だった、何を急いでいたんだろう?
最近、理穂は頭の中にほんの少しのズレを感じていた。まるで夢を見ていたような現実感のない現実。少し前まで何か違うことを考えていたはずなのに、ふと我に返るとまた、違う現実がやってくるような感覚。
―疲れてるのかな。
そう思い理穂は駅の高架下の駐輪場に自転車を止めると、通勤するサラリーマンに混じって駅のホームへと歩いて行った。電車が来るのを人の多いホームで待っている理穂は、スケジュール帳を開いた。日にちと予定を確かめて何も問題はないと確認してため息をついた。
―何も焦る必要はない、でもこの焦燥感は何だろう?
やがて電車がゆっくりとホームに入ってきた。理穂はゾロゾロと並ぶ人波に巻き込まれながら電車に乗り込んだ。電車は満員で身動きが取れなかった。流れて行く窓の外の景色を見ながら、理穂はふと思い出した。
―そうだ、今日は弘樹と映画を観に行くんだった。
中吊りの広告に目をやると、新作映画のポスターが貼られていた。そのとき理穂の中で何かが引っかかった。何かを忘れている気がする、大切なことを。理穂は軽くため息をついた。

やがて電車は駅についた。理穂は押し出される乗客と一緒に電車を降りた。やっと身体を解放された人々はそのままゾロゾロと駅の階段を降りて行く。大学までの道のりは歩いて15分程度だった。

歩き始めると歩行者が理穂を追い越して歩いて行く。そのとき理穂は我に返った。
―歩いている場合じゃない、弘樹の元に、私は早く病院に行かないと…。
腕時計を見ると時間は15時50分だった。街にはサラリーマンや若者が右往左往している。理穂は立ち止まった。
―何だろう?さっきまで私は違うことを考えていた気がする。
そのとき、ポケットの中の携帯の振動を感じた。携帯を取り出すとメールが一通届いていた。

「これは夢ではない」
あなたの今居る場所は現実であり、過ごしている時間は現実です。
あなたの大切な人、笠井弘樹さんは亡くなった。現実です。

理穂は改めて頭の中の混乱を感じた。弘樹が死んだことは現実だった。ぼんやりとしていて、まるで夢を見ていた感覚は間違いなく現実のことだった。理穂の心臓の鼓動が大きく感じる。そして妙なことに気付いた。
―このメールは一体、どこから?
弘樹が事故にあったことも死んだことも、このメールから始まっていた。混乱していて気付かなかったが、そもそもこのメールは一体何処の誰から送られてきたんだろうか?理穂はメールの差出人の欄を見た。

「From.川村理穂」

見間違いではなく、そこには確かに自分の名前「川村理穂」と表示されている。メールアドレスを確認しても、間違いなく理穂のメールアドレスだった。
―私…私がこのメールを出した?
理穂はますます混乱した。自分が自分にメールを出している。一体いつ?どうやって?それでもおかしなところは何もない。偽造メールでもなく、いたずらメールでもなく、なりすましでもなく。何もかもが分からなかった。理穂の目の前が暗くなった。
―どういうことだろう…?

<to be continued>

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