27

27で死ねたら、わたしは天才になれるだろうか。そんなことを夜毎にぼんやりと思う。27クラブ。「人生、27で死ねるなら、ロックンロールは」わたしを救ったのだろうか。救うのだろうか。ずっと何かになりたかった。だれかに崇拝されるきもち、わたしの声が、ことばがすべて、だれかの人生になること。現実からなるべく遠いところ、靄がかった「想像のなか」、そのなかだけでわたしはいきている。たのしいことはなにか、なにをしているときが救われているか、「どんなわたしなら愛されるのか」。うたもことばもどうやったっておまえらには届かないんだ、あいされなくて、捨て置かれたマイクや、一度折って乱暴に直した筆、行動のどれもがその理解と証明だ。わたしは唯の弱さで、なににもならないいまを選んだ、そのくせ、なににもなれないと酒を呷る。わたしを定義してくれるのはいったいなんなんだろう。おとなになったら、まことだけをみたらわからなくなりました。事務所のスカウトを蹴りました。育成のオーディションの合格を蹴りました。ゆめが鮮やかになるたびに、こわくなってしまったんです、手に入れられる可能性といっしょに、倍量のこわさと、自分がそれほどの価値があるのかと、自己的な断罪をくだして、みずからぜんぶを手放したくせに。27で死にたいんです。それには、それらぜんぶ、たりないし、間に合わないと思ってしまったんです。わたしが、たりない、報いることができないのであれば、さいしょから掴まない方が、どんなに誠実であろうか。なにも残せないのがわたしの人生かという途轍もない絶望、自分への失望、どんな服を着ても、どんな顔をしても、どれだけ身体を刺して彩っても、そこにいるのは薄ぼんやりとしたにんげんのかたちをしたごみだ。憧れがいつまでたってもじゃまだ。ゆめのなかだけをうつくしいと、現実だと思う悪癖。どんなにことばを書いても、だれのものでもない。どんなにうたっても自慰でしかない。生きてなんて言うのも自慰行為ですか。だってわたしは無責任に死にたいなんていって遺書だなんてほざいて不味いことばをかきちらしてなにものかになったつもりになって、たいして誰にもとどいていない言葉をさ、そうして輝いているひとを、あいされているひとを見ては僻んで、不幸ぶって、ああなんてすこぶる最低だ。最低なんだ、なにものにもなろうとしない、腰ひとつまともに上げないくせにわたしは。だれかの人生になりたい、このうたひとつ、このことばひとつでだれかを刺したい。願望だけがご立派のままだらだらとおとなになってしまった。言い訳をするのは簡単だ、だってものを書くのだから。人生のほとんどが、こうしてからっぽのまんま、だらだらと怠惰にいきている。

27まであと3年を切った。わたしはまだ、なにものでもない。

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