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ゆるやか

二十歳は煙草の味がした。

廃盤の煙草、カプセルを噛んで仄かに珈琲の味がした。夏と雨の匂いが微かに混ざった6月のベランダで、ぼくはぎこちなく煙を飲み込んだ。大人になった実感なんてまるで無い。ぽろぽろと崩れる灰を見ながらぼんやりと思った。これがきっとこの先、日常になっていく。漸く生を受けた日だと言うのに、薄い膜のように希死念慮はずっと纏わり着いている。とうとう生きた。20年を生きた。それでもこの先の方がずっと長い。飽き性なぼくは漫然と不安になる。次に飽きちゃったときに、もしかしたらこのベランダから飛ぶのかな。煙草は思ったよりも甘かった。授業で真黒な肺の写真を見ながら、それでもぼくは煙草を吸うことに決めていた。寿命を縮める手立ては、正味なんでも良かった。死にたいや消えたいや劣等感の実態はぼやけすぎて居て、飯事みたいな未遂さえできない弱虫だ。3年前を思い出す。紺のブレザーが不意に懐かしい。これは、或いはそんな時代との決別だ。アルコールの味も覚えて、煙草を吸う所作も流暢になって、青くて苦い10代は唯の思い出になっていく。これが大人になるということなら、なんてくるしい。なんてくるしい作業なんだろう。友達のあの子や、好きだったあの子は、煙草を吸うようになったぼくを見てどう思うだろう。またそうやって身勝手に硝子の壁を重ねるのだろうか。薄れて欲しくないものや、無くしたくないものまでが、この先ぼろぼろと零れて往くのだろうか。誕生日の零時半に涙が出た。あれから数年経って、ぼくはあの日をまだ確かに憶えている。「喫煙は緩やかな自殺である」。ぼくの煙草は、生涯をかけた自殺だ。緩慢に未来を殺している。数本掛ける5分の命を、日毎に先払いして得られるのは何だ。限界まで吸い込んで、くらくらする脳味噌は、既に何処かが順々に死んでいる。ゆるやかに、ゆるやかに命を焚いている。焚べても焚べても燃え上がらない湿気た生命だ。無くたって別に構わない、けれど手放せなくて100円のガスライターを擦る。嗚呼これが、これが人生なら些か惨めだ。ぼくの煙草は、ちっとも格好つかない。廃盤の煙草。もう戻らない日々みたいだ。取り戻せない、熱に焚べたいのちのようだ。

二十歳は煙草の味がした。
この先の人生も、煙草の煙で煤けて往く。

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