見出し画像

アイデアと技術で世界をイキイキさせる!

私は「アイデアと技術で世界をイキイキさせる!」ミッションを掲げるBe&Doの創業メンバーとして参加し、様々なチャレンジをしています。

とにかく試行錯誤の中でやってきましたが、まだまだこれからが本番です。これまでも本気で取り組んできたつもりですが、さらにギアチェンジしていきたいと思います。

ここでアクセルをぐっと踏み込むためにも、自分の原体験や経緯をふりかえってみたいと思い、noteに書いてみることにしました。

個人の想いとしても「夢中で楽しんでいるうちに、課題や問題が解決している。何かが前進したり好転している。」そんなことを実現したいとずっと考えています。なぜそう考えるようになったのか。

社員1500名の1年間の組織開発プロジェクト

画像1

「仕組み×モチベーション支援」

Be&Doの設立のきっかけになったプロジェクト。
そもそもここにも今につながる原体験が詰まっていました。

組織として実現したい目的があり、個々人がそれぞれに目標を立てる。
そしてチームで励ましあいながら、ゲーム感覚で対抗戦を繰り広げる。

そのお客様の担当部署の方々とは何度も意見をぶつけ合いながら、企画を練り、ルールづくりや、運用プランを検討しました。

はじまってみると本当に大変なプロジェクト。
現在提供しているプロダクトにつながるプロトタイプを急造でつくったとはいえ、ものすごく手作業も多く運営は大変でした。

大変ではありましたが、プロジェクトに参加されている社員のみなさんの成果につながっていることを生の声や、実績からうかがえたことが何よりの励みでした。

プロジェクトに皆さんが夢中になっているうちに、実際の職場や、家族、私生活にいたるまで良い変化を実感されていました。
部門間のコミュニケーションがよくなった。生産性が明らかに上がった。家族との関係が良くなった。そんな声が聞かれました。そして数字で表れる変化もものすごかったのです。

これは私が今とても大事にしている考え方に通じるもの。
その人の人生・生活に結果として良い影響が出ていたなら、この上ない喜び!

創業メンバーに参画するきっかけを綴った下記のエントリーでも、このプロジェクトについて少し触れています。

求人広告会社での営業企画の仕事

画像2

社会人のスタートはインターネット求人広告の会社。
新人時代に営業を経験したのち、営業企画部門に異動となりました。
ふりかえると大きな転機でした。

全国70名~100名の営業の人たちの営業活動を行いやすくするための販促企画から社内キャンペーンにマーケティング調査にCRM。ハードな日々でしたが、当時のマネージャーやチームリーダーには厳しく指導されながら、すこぶる学ばせてもらいました。

どうやったら多くの人たちが動くか「起爆スイッチ」を探せ!
という上司のコトバが印象深くずっと残っています。
「仕掛け」や「仕組み」で課題解決をすることの重要性をビジネスの場で意識するきっかけになりました。

営業の受注率やリピート率を高めるためのCRM(Customer Relationship Management)の仕組みは社内システムを活用して構築されましたが、前線で接点を持ち、コミュニケーションをする営業メンバーの意識をどう変えていくかが並行して重要。

いかに楽しんでもらいながら、結果として意識向上につなげるか。
泥臭くハードに様々な施策にトライできた経験は現在につながっています。

「仕組み×モチベーション支援」の重要性を、ふりかえればこのころにも私は体験しているのです。

大学生時代に140ゲーム以上を実施して辿り着いた境地

画像3

わたしは野球が好きです。

いろんな理由があって、野球部には一度も所属したことがなく、小学生のころからもっぱら「草野球」をしていた人です。中学高校もソフトテニス部でした。野球部に友達は多かったので、高校時代にテスト期間中に練習に混ぜてもらったのも良き思い出。

さて、私が大学生になったころ。
やっぱり野球がしたかったので、高校時代の連れや、それぞれの友人、当時はまだダイヤルアップ接続のころのインターネット掲示板を通じて社会人の方も応募いただき、草野球チームを立ち上げました。半分は素人同然のメンバーです。

ふりかえってみれば、大学4年間で140試合以上を戦うことになりました。
本当に最初は弱かったし、私を含め素人メンバーは見るに堪えないくらいめちゃくちゃ下手でした。

気づけば30チーム以上が参加するトーナメント大会で、大学の野球部を破って3位になったり、私設リーグで優勝をするというようなチームに成長をしました。

なぜ年齢も職場や学校も違う寄せ集めのメンバーで140試合も実施できる参加率を確保できたのか。それなりにチームが強くなっていったのか。ふりかえってみると、やはり「仕組み×モチベーション支援」でした。

・試合のスコアを丁寧に記録する
・成績表を公開して競い合う
・コミュニケーションの場をつくる
・全員を主役にするように観察する

毎試合、全員の打席スコアを記録し、成績表を更新してWebサイトに掲載。
背番号を自分の名前として入力してお互いに称え、いじりあう掲示板つき。
力を入れていたのは毎試合の試合速報ニュース。スポーツ新聞の記事を参考にしながら、活躍した人も、うまくいかなかった人も、全員を主役にする。スコアブックとにらめっこしながら、試合中の記憶を呼び起こす。

そんなことをしていると、選手たちは自分の成績を上げたい!とか、記事を読むと、まるでプロ野球選手にでもなったかのような妙な達成感を得られたり。

実はチーム内だけではなく、公開型にしていたことから、対戦相手のチームさんもよく見に来てくれていました。同じような取り組みをしているチームもいて、お互いにものすごく身近な存在になった気がします。
常連さんチームがたくさんできたことで対戦相手にも困らない。

今でこそスポーツチーム運営のための便利なアプリやWebサービスがたくさんありますが、当時は無いに等しかったので、ホームページビルダーで必死に夜中につくりましたね。

往復4時間の通学、2つのアルバイト掛け持ち、ゼミ幹事に、大学の文化系サークルの副会長(という名の飲み会要員)、学部の公式Webサイトの運営サポーターに、合コンに...もちろん学業に(!)、隙間時間なくいろいろとやっていた大学生時代でしたが、そんな中でものめりこんでやっていたのが、この草野球チームの運営だったかもしれません。睡眠時間は電車の中です。

ちなみにこの草野球チームは、メンバーは転勤や生活環境の変化により、ほぼ入れ替わり弱体化(笑)、運営体制も変わりました。私自身も、かつてほど細やかなことはできませんが(当然、みんな仕事や家族で忙しい!)、あと少しで20周年!ゆるく楽しく続いています。

なんだ遊びのことか、と侮るなかれ。
本気の遊びの中に、人が夢中になる仕組みや仕掛けが散らばっているとわたしは考えています。

受験勉強を工夫した高校時代

画像4

高校時代、学校の成績、試験の成績には苦戦していました。

入学初日に担任から髪の色を注意されるところから始まり...
入学当初の実力テストでは、学年440人中419位!数学で3点をとったこともあります。硬式テニス部を初日で退部。バスケットボール部に挑戦して2カ月で退部。文化祭のためだけにフォークソング同好会に所属。

ふらふらとホームルームをさぼって、ギターかついで音楽スタジオに行く。
しかもそんなにギターもうまくない。
バンド仲間の別の高校の人たちとつるんだり、無断外泊してオカンにむっちゃ怒られたり...。

そんな高校生活のスタートでした。
こうやって書いてみるとなかなかにひどい(笑)
別にそのときぐれてないんですけどね。青春ですよね。

最初の転機は高校2年生になる頃。
1年生のときのクラスメイトが、ソフトテニス部に誘ってくれたこと。
ブランクはあって心配でしたが、すぐに自信を取り戻せました。学校生活にもメリハリができました。
それと2年生で仲良くなった友人たちが、みんな頭良くて、なんか刺激を受けてちょっとは勉強するようになりました。
(今になってわかる、自己効力感の大切さ。そして周囲の人たちの存在から生まれる代理体験。)

それなりに試験の成績はひどい状態からは多少抜け出してきました。
とはいえ、3年生になって模試を受けると、オールE判定!
「この子は大学には行けないかもしれないと真剣に思っていた(オカンの後日談)」

決戦は夏休みでした。やったことはシンプル。

・勉強した時間を黒塗りでつぶしていくグラフをつくった。
・教科別に分けることで傾向がわかるようにした。
・10時間分塗られるごとにゲームしてOKにした。

これだけです。
予備校や塾には行っていません。
ひたすら参考書と問題集を解きまくる。

今だからわかりますが、これは「セルフモニタリング法」と「強化法」を組み合わせた行動変容方法です。

目標達成後のゲーム時間は格別のものでした。

夏休み明けの模試ではC判定にまでアップ!明らかに成果が出てきました。
その調子で、冬までがんばりましたが、最終的にはA判定まで到達。
無事に合格することができました。

これも実は簡易ではありますが「仕組み×モチベーション支援」を自分に対して行っていたというものです。

ゲームをつくって友人に試させる小中学生時代

画像5

中学生時代に触れたゲームに「ツクールシリーズ」というものがありました。要はゲームをつくれるゲームです。

時間が無尽蔵にあれば、ずっとこれやってられる感じです。
ただ、なかなか完成には辿り着かない...。

一度だけ、未完成のものですが私がつくったゲームを友人が試してくれたことがありました。RPGだったのですが、それなりにストーリーもあるし、仕掛けもつくったプログラムです。

「めっちゃ面白い!続きつくってよ!」

と言われて、ものすごく嬉しかったことを覚えています。
(そこでゲームデザイナーを志すのではなく、今につながっているのが個人的に面白いのですが)

小学生時代。迷路や双六やボードゲームぽいものをノートに書いたり、手作りでつくって、学校の休み時間に友達にやってもらっていました。そんなことばっかりやっていたな。(小学生らしく運動場でドッジボールとかサッカーもやっていましたよ?)

岡山県は倉敷市の郊外の小学校にいました。わたしの住むアパートは、学区の端っこ!通学には小学校低学年の足では1時間くらいかかっていました(道草もしていたでしょうw)。

向かいに引っ越してきた友達と、毎日、妄想RPGをしながら一緒に帰っていました。なんだよソレという感じかもしれませんが、お互いに「●●が現れた!」とか言いながら相手にコマンド選択をさせるのです。

こうげきする
じゅもん
ぼうぎょ
にげる

コマンド選択の結果は、相手の気分次第!時々急にレベルが上がる。
ものすごい武器が手に入る。好きな子が登場する。

本当にどうでも良い内容なのです。それが妄想RPG。

これがまた、長くてしんどい帰り道があっという間に終わり、明日の帰り道も楽しみになるのです。不思議ですね。

ともあれ、退屈な1時間の通学を、気づいたら帰宅している状態を無意識にやっていたのだと思います。

なぜ楽しく課題解決をする仕組みに夢中になるのか

画像6

仕掛けや仕組みでポジティブな感情を満たすことができれば、すべての人が苦難を乗り越えて前進できる力になるのではないか。
まだまだ抽象的かもしれませんが、私のイメージはこれです。

究極の課題解決は、ひとりひとりが個性を活かして強みを発揮して生きることができる社会の実現だと思っています。

そのためには多様性を認める組織・コミュニティが増えていかなければならないと思っています。要は社会全体がそうなることが究極なわけですが。

多様性を認めるというのは、自分と違うことを受け入れる必要があるということでもあるので、ものすごく違和感があるものだと思います。周囲の人を認めること。私自身も修行の身です。

私の次男は療育手帳をもっています。いわゆる発達障がいで、自閉症スペクトラムというふわっとした診断名がついています。これを書いている時点で5歳(来年小学生!)ですが、まだ発語をしていないのです。関連する書籍を読んでいても、彼は特性がたくさん当てはまります。

心配がないといったらウソになりますが、幸いなことにコミュニティにも恵まれていると思います。妻や長男、親族や、友人家族、同級生たちやご家族、うちの社員のみんな、幼稚園の先生たちや療育や訓練に携わる皆さん、これから受入れてくださる小学校の先生たち。

次男の存在が私にとってはマネジメントの役割を再認識させてもらうきっかけにもなっています。(長男の存在もですし、多様なメンバーがいる会社ももちろん。)
「多様性を活かす適材適所」「一人一人が自信をもって楽しく生活(仕事)できる環境」「変化や進捗を見逃さないこと」といった重要性に気づかされます。

ひとりひとりがどのような個性があり、どのような強みがあるのかを認識すること。また、日々の成長や変化をしているのかを把握すること。
理解するところまでいかなくとも、認めるということが大切。
認識して知っているというだけでも関係性は変わってくるものと思います。

世界のイキイキを実現するということは、様々なイキイキの在り方を認めることなのかもしれません。

なにせ「健康的で快活=イキイキ」だけではないからです。
例えば「不健康そうで暗い」というイメージがあります。でも部屋にこもってじっとしていて静かであっても何かに没頭していれば、それはイキイキしていると言えると思います。

社会のできるだけ多くの人たちが自然とイキイキできるような仕組みや仕掛け。実現できるようなアイデアと技術を引き続き追求していきたいと思います。

何よりわたし自身が、夢中で楽しんでします!No fun, No gain!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?