見出し画像

1on1が機能すれば9割がうまくいく

1on1ミーティングという言葉を聞いたことがあるだろうか。この言葉を全く知らないという人もいれば、よく知っているという人もいるだろう。良く知っているという人の中でも、この言葉の持つイメージをポジティブに捉える人とネガティブに捉える人がいるのも事実だ。

既にポジティブな場として機能しているのであれば、言うまでもない。けれど、私が会う人にヒアリングをする限り、うまくいっている人:うまくいっていない人=1:9くらいというのが肌感覚だ。

1on1ミーティングに再注目してみよう

1on1ミーティングは、人材マネジメント手法のひとつ。平易な言葉に言い換えてみれば主に職場における「定期的に設ける対話の時間」と言えるだろう。上司(マネージャーやリーダー)と部下(メンバー)の間で行われることが通例だ。もちろんメンターとメンティーで行われることもある。先輩後輩の場合もあるだろう。何なら同期どうしというのも悪くはない。いずれにしても、1on1ミーティングは職場での対話の場を意図的につくることを目指して、各社で実施が進んでいるマネジメント方法だ。

半年に1回や、1年に1回だけ目標を思い出しながら、その期間をふりかえったり評価したりする面談のことなの?と思われるかもしれないが、それとは本来は全く異なるものだ。今更あえて説明するまでもないかもしれない。だが、あえて触れよう。

社会環境や市場環境といった世の中の変化のスピードがとても速く激しく、それでいて不確実で、正解らしい正解が無い、とても複雑極まりない世界が広がっているというのは、過言ではない。だからこそ、高い頻度で目的地を確認しながら方向をすり合わせる必要がある。そして失敗ありきで試行錯誤を重ねざるをえないのだから、課題を乗り越えるための担力がひとりひとりに求められるし、協働が必須であるし、お互いの信頼関係も重要な要素となる。

世の中の急な変化は、パンデミックや戦争の勃発によってあらゆる前提が崩れてしまうような出来事を経験してきた私たちにとって、もはや当たり前となりつつあるのかもしれない。(当たり前にしたくないけれども…)

そんな状況だから、1on1ミーティングを定期的に実施するのは、今の世の中ではとても理にかなっているのだ。もちろん業種業態、職種、会社の働き方によっても左右されるので、必須のものでは無い。
1on1ミーティングは手段のひとつに過ぎず、1on1ミーティングをやることが目的化してしまわぬようにしたいといのは大前提だが、1on1ミーティングを制することができると、マネジメントの問題の多くが解決すると言っても過言では無いかもしれない。

そもそもテレワークや、ハイブリッドワーク(テレワークとオフィス出社の混在スタイル)も当たり前になった。オフィス出社の場合もフリーアドレスであったり、直行直帰スタイルであったり、とにかくひとりひとりが動き回り、時間的にも余裕がなく対面でゆっくり関係性をつくるための会話をする時間や、目標のふりかえりや、必要なフィードバックを伝える時間を持ちづらくなっている。だからこそ、1on1ミーティングをある意味「儀式」として、設定するのだ。いわゆるルーティンだ。だからやらない手はないはずなのだが、そもそも何のためにやるのかすら理解していない人も多いのが現状ではないだろうか。

でも誰も悪くはないのだ。1on1を全社で推進する担当者も、現場が忙しすぎて余裕が無い管理職も、なんとなくやらなければらないからやっているメンバーも。誰も悪くないんだ。
ただ、ちょっとしたミスコミュニケーションのせいであり、そもそも個別性が高く難易度が高いものなのに、良い方法を知らないだけなのだと私は思う。

なぜ良い情報が溢れているのにうまくいかないのか

1on1ミーティングに関するビジネス書が数多く出版されている。どれも素晴らしいノウハウが記されている良書ばかりだ。管理職向けの1on1研修というのもよく聞くようになった。プロの講師による1on1コミュニケーションの研修は多くの気づきを得られるだろう。eラーニングで方法論を従業員向けに提供している会社もあると聞く。至れり尽くせりではないか。
だが一方で思うのだ。なぜこんなに良い情報が溢れているのに「9割(肌感覚ではあるが)」のうまくいかない1on1ミーティングがむしろ溢れかえっているのだろうか。

私は「再現性」を実現できる本当に実践的な覚えやすい理論が伴っているかどうかを、あえて問いたいと思う。そしてそれが単なる対話法ではなく、実践する本人の「リーダーシップ」の在り方にも影響を受けているという事実を無視できないことだ。

そんなわけで、社内外で1000回以上の1on1ミーティングを実践しつつ、「ガイディング(心理的資本に介入する方法)」を用いた対話法や思考法を探究し続けている筆者が僭越ながら、そして勝手ながら一肌脱ごうというわけだ。至らぬところもあるかもしれないが、ぜひ寛容に、大目にみてほしい。そして役立ちそうなところ、真似できそうなところを持ち帰ってほしい。

連載明日以降につづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?