『西から来た悪魔』

店は混んでいた。やっと座れた窓際の席から駅の出口を見下ろし、悪魔が来るのを待った。
その日は雨が降っていて、薄暗く、昼だというのに夜のようだった。悪魔が電車に乗るわけないか。と思いながらも、駅の方を見ていた。傘を刺している人、刺していない人。小走りで軒下に駆け込む人。僕はなぜか、いつも以上に人間を観察していた。予定の時刻になっても悪魔は来ない。時計の針が11分過ぎたところで、黒いトレンチコートを着た長身の男が入って来た。多分、悪魔だろう。僕は手を挙げた。気付いた悪魔は席に座るなり「遅くなって、ごめんね」と、謝った。人並みの感性があるんだなと思った。そして、僕のコップを覗き込み、「何飲んどん?」と、聞いてくる。普通のアイスコーヒーだ。悪魔は、向かいの席の台を拭いている店員を捕まえ、「冷たいのを」と、注文した。店員は「冷たいって言っても色々ありますけど?」とは返さず、「承知しました」と言って、厨房の方へと消えた。僕が「契約の話なんですが」と切り出そうとすると、「ちょっと飲みもん来てからにして」と、なだめてくる。そして、「煙草は?」と言って、ポケットからシルバーのシガレットケースを取り出した。2ヶ月前から禁煙しているが、遠慮なく貰う。茶色の紙で巻かれているそれは、よく言う煙草ではなかった。煙が耳から抜けているような感覚がして、心地良い。体内の垢が体外へと蒸発して行く錯覚があった。さっきとは違う店員がアイスコーヒーを持って来た。「シロップとミルクは?」と悪魔に尋ねる。「いらん。その分勘定から引いてくれる?」と冗談で返す。店員は、真に受けたらしく、「ちょっと待ってください」と言って奥へと消えた。悪魔はニヒヒと笑って、「ミルクは下痢になるし、砂糖は身体に悪い」と、テーブルの端にある白い瓶を開けた。中は真っ黒で、よく見ると蟻だった。そして、悪魔はその中の一匹を捕まえると、テーブルの上に置いた。蟻は、何かを探しているようにウロチョロしている。「仲間のところに戻るか。旅に出るか」と、僕と悪魔はそれを観察する。そこへ、さっきの店員がシロップとミルクを持って帰って来る。「引くことができないそうなので」と、申し訳なさそうに言った。

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