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しがふわふわと浮遊する

いつもように眠りについて、目覚めない朝が来るかもしれないということ。想像しただけでゾッとする。

職場でペアを組んで担当を持っているQさんの息子さんが亡くなられた。あたしより一つ上、27歳。あまりに若い。突然の訃報に、心臓の形をなぞれるくらい心拍数が上がった。そして、2日経った今でも、まだ信じられず心の中でふわふわしている。どうしても考えてしまう、もうこの世にはいない人の、誰も確かめようのないその心の中のこと。宙を舞う小さな綿毛みたいに、あたしから遠ざかったり近づいたり。決してつかめなくて、でも、それを繰り返している。

Qさんは、あたしの母の前職場の同僚で、そこで仲良くなったらしい。あたしの父が病気で亡くなって、母が働き出して、そこで同い年で誕生日も近いQさんと出会って、かれこれ、15年以上の仲だ。他にも仲のいい何人かと一緒に旅行に行くほどだった。

あたしが大学4年生のとき、就職がなかなか決まらずにいたころ、Qさんから求人を聞きつけた母がゴリ押しで応募させたのが、今あたしがいる職場だ。

Qさんは、職場ではムードメーカー的な存在で、少しとぼけたり、たまに鋭いツッコミをしたり、みんなを和ませている。一方で、家庭では、山奥の家で義母と、冷え切った関係の夫と、三毛猫と、そして、一人息子と暮らしていた。毎日ご飯を作り、洗濯をし、掃除に、義母の介護、畑も管理し、近所付き合いもして、そんな献身的な嫁を40年以上努めてきた。

そんな毎日が、とある朝、一変したのだ。

息子さんの直接的な死因というものは知らないが、いつも起きてくる時間に起きないのでQさんが起こしに行った時にはすでに顔が冷たかったとあたしは母から聞いた。急いで救急車を呼んで、蘇生をしてもらったが、息子さんが目を覚ますことはなかった。悪い条件がいくつも重なったとも聞く。

あまりに突然な別れに、彼を知る誰もが耳を疑ったに違いない。そして、1番近くにいたQさんが最もそうだと思う。

Qさんが山奥に嫁いで10年以上も子どもを授かることができないでいた時にようやくできたのが、その息子さんだった。妊娠が分かったときの喜びはどれだけ大きかったか。職場では旦那さんの話はほとんど聞かないが、息子さんの話はいつも聞こえてきた。

『モニターを何台も設置してゲームをしている』『太ってきたので、プロテインを買ってジムに行き出した』『コロナ禍でも県外からよく友達が遊びに来る』『早く息子をもらってくれる嫁が欲しい』『定年退職まであと少しがんばって、孫ができたら、一緒にパンでも焼きたい』

山奥の家のこと、土地の管理のこと、まだ見ぬお嫁さんやお孫さんのこと、退職してからのこと。Qさんが想像していた息子さんがいる未来は、想像のまま、現実となって現れることはなくなってしまった。

「踵を踏んで靴を履いてすぐダメにするので、新しい靴を買ってあげた」と言って、職場のみんなに『それは甘やかし過ぎだ』とツッコまれていたのはつい最近のことだった。Qさんが話した息子さんとのエピソードひとつひとつが、それを聞いたみんなの心の中で、ふとした時にうごめくんだと思う。エピソードを聞いた一人一人の頭の中で、彼は笑っていたり怒っていたり、真剣な顔で仕事をしていたり、夢中になってゲームをしていたりする。昨日までと同じように、今日も。

もう彼はこの世にいないのに、おかしなことだと思う。でも、確かに、近しい人もそうでない人も、一人一人の中に彼の

『残像が存在している』

「いない」ということが存在している。
何回か仕事で見かけたことがあるくらいの、あたしの中にも。だから、まだふわふわと信じられずにいる。そして、ふわふわと想像してしまう。Qさんの悲しむ姿を何度も思い浮かべてしまう。きっと自分の行動を悔い、自分を責めていることだろう。

『微熱があると言われたあの時、病院に連れて行っていれば』『あの時、しっかり休ませておけば』『あの時、たっぷり睡眠を取るよう口すっぱく言っていれば』『あの時、もっと早く起こしていれば』『そもそも、もっと厳しく育てていれば、食事制限させていれば』『あの時、あの時、あの時、、、』

Qさんを知る人なら、そんなQさんの姿が容易に想像できてしまうのだ。面倒見の良いQさんのことなので法要に追われいる間は、最低限の心持ちを保っていられるかもしれない。しかし、ふと時間ができたときに思いつめてしまうこともあると思う。無責任に「自分を責めないで」とは言わず、ゆっくり見守っていけるだろうか。みんなで支えていけるだろうか。分からない。

雪の降る分校


そして、彼は安らかに眠り続けられるだろうか。分からない分、どうしてもいろんな最期を想像をしてしまうが、その間際、彼は意識を持てたのだろうか。苦しかっただろうか。苦しさを感じられる意識があれば、その分、幸せなのだろうか、不幸せなのだろうか。普段どおり眠りについたそのまま呼吸が止まってしまうこと、彼はどう思うのだろうか、と言いたいところだか、思う余地もなかっただろう。いや、あったのだろうか。

不摂生だからもしかしたら自業自得なのかもしれない。いつもこうなるリスクを抱えていて、たまたまその日だっただけなのかもしれない。でも、それは誰にも分からないし、彼すらも知らない。「知れない」という点では、彼が断トツかもしれない。

そんな、答え合わせのできないようなことを悶々と考えいる。いつか自分もそうなってしまうことがあるかもしれない、今日かもしれないという恐怖と、一日一日を悔いなく生きねばと力を入れすぎて逆に疲れてしまう情けなさを胸に抱いて、ご冥福をお祈りしている。あるともないともハッキリしない彼岸で、また笑ったり怒ったりしていて欲しい。あたしはまだ、こちらでふわふわ考え続けていたい。

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