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適応障害になった理由を真剣に考えてみた①
最初の記事はこれ。
見返すとある意味あっさりと書いているが、
余裕がないのがよくわかる。
当時は適応障害の言葉の意味すらよく分からなかった。
正確には適応障害に抑うつ状態
ただ仕事を休める・・・しばらくは職場に行かなくていいんだと安堵した記憶しかない。
適応障害について色々と調べたり、人様の記事を読んで気付くのは
原因は仕事が多忙の方が大半である。
それに関しては私は全く当てはまらない。
寧ろ逆だった。
仕事を与えられない。やります!とヤル気を見せても拒否される。
これもある意味パワハラにあたるのだと思う。
私の場合は
・職場の上司の異動
が主であるが、それに伴い部下の行動にも変化があった。つまりは人間関係。
上司の異動後、私に一切相談をしなくなり、独断で動くようになった。帰りもやたらと居残るようになった(残業は正直必要はない状態)
実はこれが私には堪えていた。
私の中では上司変わっても部下とは引き続き良好でいく、寧ろお互い助け合っていく。
と考えていた。
だが、それは私の勝手な思い込み。伝えてはいなかった。
その部下は部下なりにきっと考えてはいたんだろうとは思う。その部下も上司の異動は相当なショックだったようだから。
きちんと向き合えればまた何かが変わったのかもしれないが、もうそんな気力はなかった。
正直なところ、仕事自体をしたくないんじゃなくて、あの職場にいたくなかった。
出来るなら働きたかった。必要とされたかった。
あの職場には最初に赴任された時から馴染めないと強く感じてしまったのもあるが、とにかくトップの上司と合わなかった。高い高い壁を作られて、yes以外の答えは出来ない。毎日息苦しさしかなかった。もう一人の上司がさりげなくフォローしてくれてなんとかなったところは大きい。
病気の発症する前に、上司との定期面談があった。
体調については前から話してはいたが、向き合っては貰えず一蹴。
せめて異動が次の春、半年後とかならまだ頑張れたけど。
早くて1年半後。
そう言われた瞬間、絶望感しかなかった。
その日の帰り道は発作が酷かった。
今まで帰りには出たことは殆どなかったのに。
もう、これはダメなんだなと無事帰宅して、涙が止まらなかった。
実はその日辺りに人事に強い上司に相談しようかと悩んでいたが、そんな気持ちも萎んでしまった。
相談は気力がないと出来ないのである。
もう病院で診断書を貰って休職を余儀なくする段階だった。
何度も書いてしまうが私は休むことへの罪悪感は殆どなく、ただただホッとしていた。
逆に罪悪感・・・その職場への思いがあったら頑張れたかもしれない。
でももうこれ以上頑張らなくていい、とも今なら思える。
あの時は
私はあそこにいてもいなくて変わらない。自分の居場所が、存在理由がなかった。
としか考えられなかった。常に孤独に苛まれていた。
これもまた病気の症状なんだろう。
ひとまずはこの辺で。
このところまた気持ちの波が激しくてどうしようと脳内会議を繰り広げる日々だったが、書いて少し落ち着いた。
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