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適応障害になったきっかけを考えてみた②〜積もり積もった何か〜

①はこちら

休職して20日目に感じたことにも少し関連。


(途中で止まってた💦)

私の場合はタイミングが悪すぎた。

一人暮らしとほぼ同時に異動。


異動も馴染めれば良かったのだが、特殊な異動で同じ職場に留まることはなく、日々違う場所だった。

良いところはあった。

帰りは定時。だが、私にとってみれば早く帰れることは寂しさを増長させた。

一人暮らしは「したい」と言うより「しなきゃ」

極端な話、親に尻蹴っ飛ばされやったに近い。

結婚が出来なかったから。

婚活も登録所に登録し、積極的に面会をした。50人には会ったと思う。

それでもいなかった。

そんな経緯だ。一人暮らしすれば寂しさがうまれ

それで結婚に対してもっと動けるかなと思ったが、そうはいなかなった。

私は寂しさを紛らわ為にSNSに逃げた。

趣味関連の人との交流ばかりしていた気がする。

だが、距離感が上手く掴めず、互いに離れていった。

SNS依存。

そんなもやもやは誰にも言えない。

だが、溜まる一方だった。

楽しい筈が苦しくなっていく。

やめればいいのにやめられず、ついみてしまう。

そんな中、ようやく職場が決まった。

多少の不安はあったが居場所が出来る。

職場の鍵を貰えた時は嬉しかった。

この職場で気持ち新たに頑張るぞ!

と今でも思い出す。1年半前の4月。

だが、そんな気持ちは一週間で破られた。

私「私にやらせて下さい」

上司「いいから」

上司「これやるから貸して」

私のやる気を削がれるような言葉ばかり言われる。壁を作られた。

忙しいなら分かるし、ありがたいと思う。

だが、別に忙しくもない。

とにかく圧が凄かった。

朝も静かで基本雑談はしない。かなり空気が重かった。

とは雑談はコミニュケーションの一つ。

私は勇気を出して話しかけてみたが「うるさい」と何回か怒られた。

とにかく私に対してのあたりが強い。

他にも社員はいたが明らかに待遇が違う。

その子は若いし可愛いし利発的。素直。

まさに欲しい人材だろう。

そして私はそうでない。

合わないとはこのことなんだろう。

それを別の上司は気づいて

「早く離れた方が、いい」

とアドバイスを残して、先に異動してしまった。

職場の雰囲気は変わった。

若い子達が中心に、ある意味良いことだろうが、

私はどちらかというと蔑ろ、邪険にされていた。

その証拠に席がない。

いや、かろうじて探せばあるが、端っこだ。

その頃くらいからもやもやが増えていった。

忙しいならいい。黙々とこなしてれば時間は過ぎていく。

だが、仕事はろくになく、

暇は余計なことを考えてしまう。

しんどかった。

電車乗り、体調が悪くなり始めたのは8月末。

上司には話していた。

上に上げてるよ〜なんて言われたのが数日後。

だが、その後は何も聞かれず。

私は朝ほぼ始発の電車に乗り続けていた。

後半年頑張れば、頑張れば

異動出来るんじゃないかなと


となんの確証もないのに言い聞かせて。

そして異動までは3年かかる

と言われた。

多分そこで、私の何かが切れた。

帰り道の電車は本当に苦しくて苦しかった。

乗った瞬間な息苦しさ、

マスクも辛いし、痺れは始まり止まらない。

だが、周りからは一切分からないから声をかけられることもなく、降りることもなく、なんとか堪え堪え最寄駅までついた。

そんな日々が続き、ついに動けなくなる。





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