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「持続可能な開発」は代官山に50年前からあった話。

先日久しぶりに代官山のヒルサイドテラスを通りました。いわゆる「再開発系の施設」の走りであるヒルサイドテラスは住居とオフィスと商業施設が混在していて、1990年代の後半に完成したときにはやたらと「イケてる最先端の場所」としてもてはやされていたのを覚えています。

代官山って場所も、そんな若い頃から行ったおかげで、東京西側諸国(私は東側の住民なので山手線の西側方面にはコンプレックスがあったりする)の中では仲良しの街だったりするのですが、その安心感のバックには、今はやりのように言われている「持続可能な開発」が昔から実践されていることがわかりました。

ヒルサイドテラスは、1967年から1992年まで段階的に建設された複合施設で、ここに広大な土地を持っていた朝倉家の土地に建築家の槇文彦氏が設計して建てたことで有名です。朝倉家と槇氏とは古くから親交があり、丁寧にコミュニケーションを取りながら、30年に渡りこの土地を一緒に育ててきたことが、様々な資料からよくわかります。

朝倉家は大地主であったものの、第二次大戦後土地の大部分を失い、相続税支払いのためにほとんど売却してしまいました。その後不動産活用に乗り出し、槇氏とヒルサイドテラスの計画をするのですが、第一種住居専用地域だったことで高い建物も店舗も建てられなかったのです。しかし、行政と交渉の末、エリア全体を団地として計画することで、商店やレストランを入れることができるようになりました。

こうして作られた第1期計画が好評だったことで、第2期以降の開発では用途地域も変更されて、さらにバリエーションのある施設が作られることとなりました。ギャラリースペース「ヒルサイドフォーラム」やコンサートができる「ヒルサイドプラザ」など文化的な発信基地にもなっていきます。

ヒルサイドテラス では、公共性が高い空間というものが意識されていたそうです。住居も含めて建物が街に開かれている様子、SOHOなど職住一体型を意識した住宅、オープンカフェの存在など、まさに数十年後に蔦屋書店がT-SITEとして新しい形態の店舗を代官山にオープンした時に意識されていた仕掛けが存在していたのでした。

去年こんな展覧会もあったんですね。気づかなくて残念。

最初の開発からは50年経って、確かに施設としては古いと感じる部分はあるものの、決してコンセプトは古くならず、むしろ一周回って先端を行っているのではと思う場所、ヒルサイドテラス。この開発の歴史にはたくさん学ぶべきものがあるなと感じたのでした。

おまけ。小泉今日子さんが1983年に発表したヒット曲「真っ赤な女の子」のカップリングには「午後のヒルサイドテラス」という曲が収録されています。作詞は秋元康さん、作曲は筒美京平さんというビッグネームの曲です。内容を見るにこの代官山ヒルサイドテラスを意識していて、シティポップ的な一端も見える曲で、昔の曲だけど古さを感じないのは、ヒルサイドテラスそのものと同じですね。


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