読書と平凡な日常20 正義の味方
どうも、紅りんごです。今日でこのエッセイも20回。度々休んだり、他のエッセイを書いたりしていましたが、ようやく20回目です。それでは、記念すべき20冊目はこちら。
20冊目は中山七里『護られなかった者たちへ』。近々映画の公開が予定されている作品です。
猟奇殺人と密接に関わる社会福祉制度。福祉は一体誰を護るためのものなのか、読了後に残るやりきれなさは中山七里先生の作品の中でも高いものがあります。
作内で問われる正しさの在り方。今日は私の正義について考えてみたいと思います。
まず、正義とは何か。正義の人、というと「秩序を守ろうとする善良な」人間がイメージできます。正義の味方やヒーロー、なんて言い方もしますよね。しかし、正義に固執し過ぎると歪んだ正義を振りかざすようになる……なんて展開もよく見ます。つまり、正義とは「秩序を保つために用いられるが、多用すると人に優越感を与える中毒性のあるもの」とも言うことができるでしょう。
私の中の正義もそういったものです。でも、少し付け加えるなら、正義とは「自分の希望」だと考えています。それが破綻したものであれ何であれ、人が正義があると信じるのは、そこに希望を見出しているからです。本当の世界は正義も悪も無い、きれいもきたないもみんな汚いかもしれない世の中ですが、その中だからこそどこかに真っ当な正義がある。そう信じるからこそ、まずは各々自分の中に自分だけの正義を用意するのかもしれません。「夢」は星と同じで諦めなければ辿り着けるかもしれない境地で、「希望」はそこまで続く道のり。自分の希望を詰め込んだ正しい義、それを信じることは自分の人生をより良いものにする指針になるでしょう。(盲目的にそれだけを優先すると、猛毒になるので要注意。)
最後に私の正義を簡潔に。私の正義は『手の届く範囲ならできるだけ誰かを手助けする』ことです。もちろん、怠惰&阿呆な私の手の届く範囲は狭いですが、常に救急セットやティッシュ、ウェットティッシュにドライバー等を持ち歩いたりしています。それは、誰かを助けたいという思いよりも、「目の前で困られて、素通りしたらこの後絶対気にして何も手につかないし、ちょっと手助けしたら何とかなる事でずっと頭を悩ませたくない。」
という、後ろ向きな理由からです。知らない人に罪悪感とか後悔とかだけ植えつけられるのは御免です。できるなら視界に入っている間はお互いハッピーでいたい、そのためにできることはする。それが私の正義です。それでは、今日はこの辺りで。
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