映画『メッセージ』の感想

あらすじはこんな感じ


そもそも言語が記憶に先立つことがあり得るのか?

 記憶や想像がまず最初にあり、それを表現しようとするときに用いるのが言語なのではないのか。それに、言語と非言語の両方によって成り立っているのが世界のなのだから、その世界の未来を言語だけで見ることなど不可能ではないか。
 その転倒を描いているからSFとして新しいのだと言えないこともないし、SFなのだから何が起きたとしてもそれはその世界においては正しいと言ってしまえるから、この点についてはあまり深く考えても仕方ないのかもしれない。

未来が見えても人はまともでいられるのか?

 例えば英語を話せない人がいるように、ある言語を地球人全員が使いこなせるようになることはあり得ないといってよい。だとしたら、未来を見通すこととができる宇宙人言語を宇宙人が教えてくれたとしても、それを使える人と使えない人との間に、格差が生まれることになる。
 その格差はインターネットを使える人とそうでない人などとは比べ物にならないほどに大きい。「未来を知る人」と「未来を知らない人」が生み出されたとすれば、極大の格差が発生し、それは地獄以外の何物でもない。
 さらに、未来が見える言語を手に入れるということは究極の決定論を人間が手に入れてしまうことと同じであり、人がこれまでと同じように毎日を生きていけるとは思えない。今何をしたとしても、結局見えている未来にたどりつける、たどりついてしまうのだとして、果たして、人間は何かをしようとするだろうか。未来はもう見えてしまっているのだから、何をすることも未来を変えるための抵抗になりえないというのは人間が生きることの根本的な意味を喪失させてしまうのではないか。

バンクスはどう生きていくのか

 確かに、未来が見えるようになったバンクスはそれでも起きるであろう不幸に向かって歩くことを決意をした。しかし、それはバンクスだからこその意志の強さによるものであるともいえる。すべての地球人が同じように自分の既知の未来に対して生きていけるかどうか。
 それに、バンクスの決断にしても、それはもはや自由意志が通用しないことに対する諦めであると捉えることもできるし、見方を変えれば、未来に夫を不幸にし、娘を病死させることを自分の意志として、選択したバンクスルの行動が果たして本当に正しいのかどうかは疑問である。未来が決定しているのならば、バンクスの選択という表現すらも誤りであるのだが。

あの宇宙人は本当のことを言ったのか?

 宇宙人言語には時系列が存在しないのだとすれば、あの宇宙人がバンクスたちに伝えたメッセージにはどうして、時間に関する概念が含まれているのかという疑問が生まれる。「3000年後」や「過程」や「時間」を意味する語彙は持っているのに、自分たちのその書き文字の中に時系列がないというのはどういうことなのか?
 あの映画の中で、宇宙人言語に時系列がないと言っているのは宇宙人たちではなく、あの言語を解明しようとしている科学者たちのほうである。そこにそもそもの行き違い、つまり、科学者の思い込みによる誤りがあるのではないか。
 この行き違いは、周到に計画された宇宙人側の策略によるものではないかという見方もできる。前述したとおり、もし本当に未来のすべてをみとすことのできる言語というものが手に入ったとしたら、それを使えるものと使えないものの間に格差が生じ、遅かれ早かれ人類は二分されて戦争になるのは明らかである。
 映画の中盤で、カンガルーのたとえ話が出ていたが、あのたとえ話に倣うならば、先住民は地球人であり、侵略しようとしている西洋人は宇宙人である。しかし、今起きているのはその図式の通りではない。なぜならば「カンガルー」という理解不明の言葉を発したのは地球人ではなく、宇宙人なのである。だとすれば、地球人のほうが言語的な誤解を生みだしてしまっていると考えることもできるのではないか。

地球人は宇宙人言語に対してどのような誤解を抱いたのか

 メロドラマ的にこの映画のストーリーを、素直に解釈するならば、未来に自分たちを救ってくれることになる地球人に対して、本当に救ってくれるために、今、地球人に対して、自分たちの高度な言語体系を伝えに来たのがあの宇宙人たちであり、その宇宙人の言語の力を利用して、地球人の分裂の危機を防いだのがバンクスであり、そのバンクスはたとえ自分の過酷な未来が見えたとしても、それを受け入れて未来に向かって歩いていこうとしているということになる。
 でも、それは本当なのだろうか。この映画はバンクスとイアンが抱き合うシーンで終わる。その先のことはすべて、時折、バンクスの頭の中にフラッシュフォワード的な断片として発生するだけであって、他の誰もそれを見たわけではない(当然見れない)。二人が結婚することも、離婚することも、娘が生まれ、やがて病死することも、UNIVERSAL LANGUAGEの論文を上梓し、国際的な評価をされることも、そのパーティの場でシャン上将から声をかけられることも、すべて。
 果たしてそれらの未来の出来事がすべて本当だと誰が判断できるのだろう。まだ起きていない未来を見通せた気分になっているだけではないということを証明する方法があるのだろうか。

優しい宇宙人という幻想は正しいのか

 本当にあの宇宙人たちは人間に宇宙人言語を伝えるためにやってきた友好的な存在なのだろうか。
 もし、そもそも未来を見通せる宇宙人言語などないとしたらどうだろうか。バンクスが見た未来の風景はすべて宇宙人が生み出した幻だと考えることも可能である。バンクスが見た未来が自分に関するものだけであるということもまた考えてみればおかしな話である。未来をすべて見れるのならば、どうして自分に関係することだけを見ているのか。それは宇宙人がつくりだしたものだからではないか。
 そして、宇宙人にそれができるならば、未来を見通せる宇宙人言語が表面上は本当らしいという幻を地球人全員に見せることも不可能ではない。幻の宇宙人言語を与えられた地球人が対立をはじめ、やがて滅びた後にあの宇宙人たちが地球を乗っ取ろうと企んでいるのではないか。

とここまで書いてきたけど…

 じゃあ、未来を見通すことができる宇宙人言語なんてものはないとして、どうやってバンクスはシャン上将の電話番号を幻想のの未来の中で知りえたのか。そこだけが自分なりに納得のいく答えがまだ出せていない。

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